午前5時起床、浅草はくもり。今日は朝から「単語あわせ」という宿題をしていた。
若布 そり 走り高跳び 縫いぐるみ 原市爆弾
ねこ セスナ機 ヨーヨー 帆船 車掌
埴輪 グライダー 換気扇 マッサージ 安全ピン
よしず
トランペットトロンボーン 千手観音 ろくろ首 空中ブランコ
こうしてタイプすることで、文字の一つ一つが、形になって入ってくるように感じる。あたしの場合、左脳に穴が空いているので、自然と脳は右脳がメインになる。しかし漢字の中枢(左脳にある)は無事だったようで文字の読み書きは何一つ不自由はないのだ。
つまり全然左脳が機能しないのではなく(計算は不自由だったが、それもできるようになった)、ラカンが「音読み(漢字)が訓読み(かな)に注釈を与える」と言うように、あたしの脳みそはバリバリ右脳的に機能していたりしている。
右脳は、ロジックではなく、イメージ(形や空間や音)で対象を捉えようとする。そのため左脳的な契約にはまだ不向きなとろがあるが、哺乳類脳やは虫類脳と結びついていることで無意識が表出してしまうように感じている。それは日本人の精神性や創造性の構造であるように思う(たぶん)。
Comments [3]
No.1butchiさん
縫いぐるみではなくて、着ぐるみを着た変態。
マッサージでなくて、単なる喧嘩。
これはトランペットじゃなくて、トロンボーンですね。 (笑)
No.2ももちさん
Butchiさん
>これはトランペットじゃなくて、トロンボーンですね。
はい、その通りでした。(^_^;)
No.3辺境地のコンサルさん
技術屋をやっていて左脳はきっと大切な道具だと思うんです。計算ができない自分なんて想像できません。かといって右脳を持っていかれるときっと人生はつまんないんだろうなあと思うんですよね。
妄想に萌える事ができない人生もいやだなあ・・・。