7月22日岩見沢建設協会でのイントラネット勉強会資料―サイボウズについて。

7月22日、岩見沢建設協会での勉強会資料を公開しましたので、ご自由にお使いください。

  → http://www.momoti.com/data/BD060722.zip

概要

今回の勉強会は、発注者‐受注者間での、現場情報の共有を見据え、その活動の必要性と、その為に、必要なスキルの理解の為のものだ。第一部では、その理論的な解説。第二部では、操作実習と、二部構成とし、それを試みた。今回の資料は、第一部で使用したものだ。

岩見沢建設業協会は、既に、協会イントラネットを構築しており、協会としてのIT化を進めてきた。今年三月、岩見沢市が栗沢町、北村を編入合併したことに伴い、協会も新規会員を迎え入れることになったが、その方々への、イントラネット操作講習は、先に、まにあ・1号さんに行っていただいていた。

今回は、現場代理人の方々を対象とした、現場レベルでのIT化(つまり現場状況の共有)、の勉強会である。

協会IT化の――に限らず私のIT化ではだが――第一義的な目的は、全員が、「たずさわるもの」を提供することにある。IT化は「たずさわるもの」のひとつであり、その全てではない。

しかし、今の時代に、なぜ全員が「たずさわるもの」が必要なのか、そしてそれがなぜIT化なのか、そして、発注者‐受注者間での、現場情報の共有がなぜ必要なのか、について説明を行った。それは、現場代理人としてのものではあるが、その内容は、「7月13日盛岡での講演資料」に順じた。つまりそれは、経営者が持つべき意識と、なにも変わらない、と云うことだ。

イントラネット‐サイボウズ

今回は、操作講習もあったので、操作講習の対象である、イントラネット‐サイボウズについて書いておこう。

私のIT化とは、まず中景(種的基体)をつくり、それを自ら――個の単位で――"ひねる"ことで、外とつながる。そしてそのことによって、種も進化(変化)すること、である。その中で、イントラネットを、なによりも中景(種的基体――依って立つ大地――)をつくる、(再)構築する、ためのツールとして位置づけている。

日本的なもの

私はそこに、サイボウズを好んで使うのだが、それは、サイボウズが、とても日本的なものだからだ。なぜこれが中景――つまりは灰色である――の構築に向くのかと云えば、サイボウズが、曖昧さと型のハイブリッドであるからだ。それが意味することは、とても日本的なもので、ようは、サイボウズは、灰色のシステムだ、と云うことである。

それは、ユーザーインターフェイスに顕著だろう。サイボウズのユーザーインターフェイスは、カスタマイズはほとんど不可である。その意味では型を持つ。しかしある目的にたどりつくには、必ず複数の方法が準備されている。それは、型に曖昧さが埋め込まれている、と云うことだ。

例えば 個人設定から トップページへ戻る出口は 同一画面に三つある。あるひとつの動作だけを 強要しない曖昧さを設けることで、直感が生きるように設計されている。つまり直感的なユーザーインターフェイスを持つ。

直感とは無意識であり 流動的知性だ――考える技術の基底でもあるが、今回はそれには触れない――。人間の思考の曖昧さである。その曖昧さを、排除するのではなく、逆に生かすことで、サイボウズは導入時の教育コストを削減する。つまり敷居が低いのである。

だから、マニュアルは最低限あればよい。だが、流動的知性の機能しない方々――マニュアル人間――は、この縛りの少なさを、逆に、使いにくい、と感じるかもしれない。

イマジネーションの数だけ、使い方は生まれる

サイボウズの基本機能は、イントラネットとしては、必要最低限に過ぎない。そして、融通も利かない。それは低機能とも カスタマイズ不自由とも云えるだろう――型に縛り付けられているようにも見える――。

しかしその型は、イントラネットとして必要最低限の基本でしかなく、締め付けの緩い象徴的機能である。象徴(基本=型)はある、だが、その締め付けは、機能の底部(下部)には強く、上部――使用方法、どう使うか――には極めて緩い。つまり、曖昧さを孕む二層構造になっていることで、曖昧性を否定してはないのだ。

底部まで型が緩ければ、なんでも出来るように見える――と云うか、実際に出来る――。しかしそれは、なんでも出来るは、なんにも出来ない、を体現するに過ぎないことが多い。つまり、基本としての型(種的基底―象徴)がないと、以外に使いにくいのだ。サイボウズは、それを最低限で提供している。

と同様に、型を持つ低機能は、なんにも出来ない、のではない。低機能は低機能なのではなく、カスタマイズ不自由は、不自由なのではない、のである。サイボウズは、その上部構造において、イマジネーションが働く場を用意している――と云うか、イマジネーションが働かないと、このシステムの魅力は半減するだろう――。

要は、ユーザーが、これをどう使うか、イマジネーションを働かせる、だけなのだ。サイボウズは、型が、二層構造的に、象徴の強さと弱さのイブリッド(象徴の一部否定)であることで、逆に創意工夫は生きるようになっている。イマジネーションが生きる、創出が可能となる、これは「種の論理」では、とても大切なことである。

創意工夫は、無意識であり、流動的知性を必要とする。その本来、人間の持つ曖昧なものを生かすことで、サイボウズの利用範囲は イマジネーションの数だけ生まれる。だから、イマジネーションが機能しない方は、使いにくい、と感じることだろう。

中景のためのツール

サイボウズは、基底に近い、しっかりとした型だけを提供することで、このイントラネットが中景(種)のものであることを表徴している――だから、私のIT化では、サイボウズはなによりもまず、中景の(再)構築ツールである――。

これらの特徴(ミーム)は、基本理念のように、発売当初から大きな変化もなく バージョンアップを経て引き継がれている。この特徴は、とても日本的なもの(ハイブリッド)だと感じているし、サイボウズはドメステッィクブランドなのだと理解している。

それは、米国からの輸入品であったNotesへのアンチテーゼとして生まれたという、出生時のミームが今も生きているということだろう。その価値は、イントラネットという欧米生まれのITのツールに、曖昧性(灰色)という日本的なものをハイブリッドした、シミュラークルである、と同時に、使用価値をもった「モノ」であること――つまり実際に、業務にもかなり使えること――にもあるわけだ。

欠点

IT化の目指すもの 通常のIT化なら、以上の文脈でOK!なのだろうが、われわれはそこでは立ち止まれない。なぜなら、中景(例えば、公共事業という産業)が、今の時代に壊滅的なことの理由を考えてみればよい。それはイントラネットにも顕著に特徴が現れている。つまり、中景‐イントラネットは、閉じた円環であるが故に(共同体性は強めるが)、外とつながらない、という欠点を露呈する。

その克服が、キアスム的な"ひねり"の実装、つまり、円環とメビウスの帯のトポロジー的ダブルバインドなのである。発注者‐受注者間での、現場情報の共有とは、そのひとつの試みである。 それはちょっとしたイマジネーションであり、個のレベル――現場――での、情報の発信であることは、当然のことでしかない。