2006年8月26日 三遊亭圓丈・白鳥二人会(仲入り前)

午前7時45分起床。浅草はくもり。目の具合は少しずつよくなっているような気がする。

東洋館へ

ポスター昨晩は、東洋館へ三遊亭円丈・白鳥二人会に出かけてきた。

予約をしておいたので、うどんで軽く腹ごしらえをし、開演十五分前に東洋館へ着いたのだが、当日券を買い求める方の長い列ができていてただならぬ雰囲気であった。

階段を昇り会場入り口でチケット代を払いなかへ入ると、会場は満席状態であった。私は東洋館が客でいっぱいになるのをはじめてみた。(笑)

東洋館予約された分の席は確保してあるとのことで、なんとか空いている席をみつけ座ったけれども、開演時には、当日券の皆さんの為に、通路にパイプ椅子が並べられ、立錐の余地もない状態になった。

大入りなのである。素晴らしい。

番組

三遊亭ぬう生
三遊亭白鳥:「脳ミソ一家 あたま山の決闘」
三遊亭円丈 :(白鳥作)「戦え!おばさん部隊」   
仲入り  
三遊亭白鳥:(円丈作)「パパラギ」  
三遊亭円丈:御愉しみ

となっていたが、円丈師匠は御愉しみ(「ランボー怒りの脱出」であった)を仲入り前にもってきて、とりは白鳥作「江戸前カーナビ」に変更となった。理由は(円丈師匠によると)「戦え!おばさん部隊」はデブじゃないとできないということと、その代わりの「江戸前カーナビ」は覚えきれていなくて、少しでも時間がほしいということであった。

最初に本日の出演者三名が舞台に登場して挨拶。夫々が青いハンカチ持参で汗を拭きながらの挨拶するという時事もので、満員の会場はこれだけで出来上がってしまった(大入り満員というのはよいことである)。

シンデレラ伝説

その空気をうまく引き継ぎ、ぬう生さんの「シンデレラ伝説」(白鳥作)が始まる。ぬう生さんははじめてきいたが、テンポよい爆笑ものをうまく演じていたと思う。白鳥師匠の書く噺は、筋はめちゃくちゃなんだけれども、どこかでメルヘンチックであり――白鳥師匠はその昔童話を書いていたらしい――、そして笑いながらあっかんベーをするようなコンプレックスなのだが、ぬう生さんの噺は、それがうまく生きていたと思う。面白かった。

脳ミソ一家 あたま山の決闘(白鳥)

これは笑った。多分「あたま山」からインスピレーションをいただいた初物だろう。中年オヤジのはげ頭で決闘するのは、脳みそと内臓なのである。どこかSF性もあって、オチはメルモちゃん風なのである。

白鳥師匠は私の贔屓の噺家のひとりであり、私的には彼の落語をスーパーフラット落語と名付けている。彼は落語(古典)の常識である、かみしもとか演じ訳がないがしろなわけで――最近は相当まともぽくなっていると思うが――、その演じなさを補うために、彼はこれもまた古典にはない所作(大きなアクション)を使う。

しかしそれもまたスーパーフラットであって(つまり噺と所作が並列なのだ)、それが塊のようになってつくりだすイリュージョンの、これまた平面さが有無を云わせぬスピードで展開する。奥行きも空間もへったくれもあったもんじゃないが、それがなんとも脳みそに心地よいのである。 二十一世紀の落語家である。

ランボー怒りの脱出(円丈)

元祖二十一世紀の落語家、円丈師匠の「ランボー怒りの脱出」が見れるとは幸運だった。これは落語界唯一無二のアクション落語である。原作は勿論映画「ランボー怒りの脱出」であり、噺の筋もそのままである(つまり噺は書いていない)。このアクション映画の筋を、落語(古典)の所作で演じるところにこの噺の面白さはある。その所作は私の語彙では説明不可能。m(__)m

私は円丈師匠がここにこれを持ってきたのは、たぶんに白鳥師匠対策なのではないかと思った。それは先に書いたように、白鳥師匠の所作が、落語(古典)の所作を逸脱したこところで成立しているのに対して、古典落語の所作をもって映画の筋をなぞるだけで落語にしてしまうという、所作に対する所作の対比なのだと思う。

同じ新作落語でも、白鳥師匠が高速スライダーだとすると、円丈師匠は低速ナックルボール的なのだ。つまりより複雑である。その複雑さとして弟子を引き立てながも己も目立つという奥深い芸を見せてくれたわけである。

ということで仲入り後につづく。