金龍の舞 浅草寺
金龍の舞 2008年3月18日 浅草寺


金龍の舞 

午前7時起床。浅草はくもり。日銀総裁が決まらない。全ての政治的なものに国民の不在は明白である。まぁ、あたしは国民はやめたい人で、居住料(税金)を支払うだけの異邦人になりたいのだけれども。w

昨日は浅草寺境内の金龍の舞へ。浅草の子宮的構造の中心では、いろんな行事がおこなわれている。けれどあたしは、この金龍の舞が一番好きだ。

ただ、それのなにが好き、というわけでもなく、今の本堂が落慶したときに創始されたこの舞(久保田万太郎指導)は、つまりは今年で50周年なのであり、それはあたしと同い歳だというだけのことである。

それは、どうでもいいことでしかないけれど、ただそれだけの理由で、あたしはこの舞にコミットメントできていたりするわけで、その心象はなんだろう。同じ理由で浅草寺の本堂にも妙な愛着がある。

今の本龍は満身創痍、ぼろぼろである。それは昭和の終わりごろにつくられた三代目で、流石に今回の舞で引退となる。つまり次回の奉納がある10月18日には新しい龍となる。

龍は代わるけれども、金龍の舞は続く。舞手も代わる。舞手の募集がおこなわれていて、あたしも応募しようかと思ったのだけれども、見事に年齢制限でアウトだった。10年遅かった。

そんなあたしの悔しさとは関係なく、代わることで舞は続く、継承される。それが文化継承というものだが、そういう継承が絶たれた途端に、家族のそしてパトリの一貫性が失われること、そしてそれが及ぼす大人の不在は往復書簡に書いた。 

金龍の舞金龍の舞
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