青葉直利庵の天大もり青葉 直利庵の天大もり


青葉 直利庵の天大もり

午前5時30分起床。浅草は雨。盛岡から帰る日、村上さんの車に同乗させていただき、一関の「青菜 直利庵」で蕎麦を手繰った。時刻は10時45分。11時営業開始なのに何故か店が開いている。店の中には約10人の人達がいる。一体何なんだろうと思う。店にはルールがあって、注文は自分で受け付けに云ってしてこないと行けない。

(普段の店のように)座って注文を待っていたのでは永遠に食えないのである。注文してから暫く待って蕎麦にありつけるのだ。店には次から次に客が来て11時前には立って待つような塩梅なのである。この店には2003年8月に来たことがあたしのサイト(ブログになる以前のものである)に記されているが、その間何と15年振りの訪問だ。

昨日は凄いものを食べた。場所は一関の直利庵という蕎麦屋である。
ここは、ひとことでいえば、うどんのように太い蕎麦の店なのである。
天もりを食べたのだが、蕎麦なのかうどんなのかよく分からない麺は、かなり太いけれども(その上異様に長い)硬くはないし、かなり旨みを感じることができる。(しかし、蕎麦のそれではないように感じるが・・・)
汁はかなり甘いが、いやらしい甘さではなく、太い麺によくあっている。
てんぷらは、海老天がとても不思議な堅さで(まあ言ってみれば高級などんべいのあとのせてんぷらのようなもの)一見まずそうなのだが、これも食べるとなぜかまずくはない。
甘い汁にもみじおろしを少しいれて、なぜか添えてあるほうれん草のおひたしを入れ、刻みネギを薬味に食べると、これが不思議にも抜群にうまいのだ。(2003年8月23日より)

まさに、と思うが、今ならその太さは「角萬」の蕎麦をもう少し太くし、そして長くしたものだと云えるだろうし、蕎麦を大盛でもらったおかげかその量の多さに目を見張はった。食べている最中に思わず途中で休みたくなる。勿論、東京の蕎麦のルール(啜る)は通用せず、啜ってもすすりきれずに、蕎麦汁にどっぷりつけたまま、食いちぎるのに歯をたてるという具合だ。

汁は流石に甘く(あたしはもの凄く甘く感じた)、その甘い汁にもみじおろしは入れないで、「天ぷら」をちぎって(まさにこの表現のようなものだ)を入れれば、その天ぷらの揚げ方の余りのカラカラ具合に(正に「どんべい」の後のせ天ぷらを思いきり堅くしたようなものなのだ)笑うしか無いあたしは、それでも頑張ってこれを食べるのである。

そして漸く食べ終えると思わず腹をさすった。顔はまるで取組の後の力士のように昂揚させ、店のお姉さんが持って来てくれた蕎麦湯を呑む。フーッと溜息をつくが、他のお客山は殆どが「天大ざる」か「天大もり」である。この不思議に写る蕎麦を毎週(若しかしたら毎日)食いに来ている人達ばかりなのだろうか、どういう胃袋ならそれが可能なのか、とあたしには不思議だったのだ。

大もり

天ぷら

青葉直利庵

青菜 直利庵
岩手県一関市青葉2-9-11