mixiとblog(ミクシーとブログ)。

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ミクシー

午前5時40分起床。浅草はくもり。最近、mixi日記は「外部ブログを使用」にしていて、つまりこのブログのRSSリーダー化している。その一番の理由は、mixi用に書く話題がないからなのだが、その昔はブログの内容をmixiにコピーしていたこともあったけれども、今はそれもなにか違うな、という想いが強く、やる気がしない。

円環モデル

mixiでは、今までいろいろと試させていただいていて(今のも実験のひとつだといえないこともないが、私なりの理解としては)、mixiは円環モデル(ひねりのない中景モデル)にしかなれないということだ(それはそれで悪いものではないことは何度も繰り返し述べてきた)。

ハブ能力

そしてその円環が「広くて薄い紐帯」を作り出す可能性(つまりひねりの可能性)は、結局は個人のハブ能力に依存していることも、はっきりと見えてきたと思う(これについては別途まとめをしたいと考えている)。

偶有性

いまの私が考えているIT化は、偶有性(偶然につながることの正当性)の可能性の探索のようなもので、それは今のところブログの方がより見えやすい(つまりログ解析がやりやすい)。

Data as the intel inside

偶有性の可能性は、具体的には、Web2.0ミームの決まり文句(buzwords)でいえば、Data as the intel inside に要約されるものだろう。つまりmixi日記はデータベース的に機能しないことが、今の私には魅力のないものになっている理由だ。

それは簡単にいってしまえば、mixi日記は検索エンジンの検索対象ではないということであって、もし今後mixi日記が検索エンジンの検索対象になるなら、まったく新しい可能性を私はmixiに感じることができるだろう。

ブログでの試験

私のこのブログにおける試験的取り組みは、浅草+たべものorお店の名前という検索フレーズで、検索結果の上位にくることを目標にしている。つまりは「浅草グルメマップ」のことだ。

そのためにはSEO的な取り組みもしてはいるが、それは二の次なのであって、なによりもデータの充実が大切だと考えている。データ(情報を発信すること)がなくては、なにもはじまらないのが、Web2.0的なIT化の特徴であることは、ずっと変わらないことだろう。

その取り組みは、私の仕事とは直接的には関係のないことだけれども、地元(浅草)のお店が検索され、私のサイトがヒットして、それでお客さんが1人でも多く浅草に来てくれるのなら、そんな嬉しいことはない(それは私がお世話になった、全国の「街的」なお店も同様にである)。

小さな地域貢献

それは、私にできる小さな地域貢献のようなもので(パトリの護持である)、それによる報酬はなにもないが(最近アドセンスをはじめたので少々の収入を得られるようにはなったが)、官製の地域貢献とやらで埋めきれない建設業の社会的信頼についても、このあたりにヒントがあるのかな、と考もえている。つまり、Webは、リアルな世界(現実)の一寸先を知る実験装置なのだ、というのが、私のアプローチなわけだ。

コメント(2)

mixiの日記が検索対象となったら、mixiの人気もそこで終わりでしょうね。ひねりのない中景モデルだからこそ人気があるんでしょうから。ボクは、mixiは「ひきこもりの空間」だと思っています。情報発信をしているように見えて、実は自己中心的な殻の中での独り言でしかない。だからこそ安心して居られる。情報発信のエキスパートであるももちさんが飽きるのも当然ですね。

>タロサ

いつも示唆に富むコメントをありがとう。
中景をつくりそれを維持することは意外と難しいので、その意味ではmixi的アプローチは(その有効性において)色々なことを教えてくれていると思う。

けれども、mixiではひねる行為(偶有性)が難しいのも事実であって、500万人も会員がいるなんて全然実感がないのものね。

中景(円環)を保持しながらひねるというのはWebだけでは無理だし、ましてやmixiだけでも難しいしのだけれども、せっかくなので色々と試してみようと思ってしる次第。