5月16日「個人の活性化―人材と技術―」研修会での講演用PPT

午前6時30分起床、岩見沢はくもり。

2007年5月16日「個人の活性化―人材と技術―」研修会での講演用PPTをアップしましたのでご自由にお使いください。

(以下は編集中であり、中途半端なテクストです。後程、大幅に改定予定です)。

贈与/交換

何時ものように、Web2.0とGooglの普遍経済学アプローチからはじめたのだが、それらについては以下をご参照いただきたい。

普遍経済学モデル今回、強調したのは、贈与/交換のもつ時間の概念の違いである。つまり贈与も交換も見返りを求めるが、その大きな違いは、見返りを得るまでの時間だ、ということだ。

交換は即時性を求めるが、贈与は長い時間をかけて見返りを求める。ここでは、交換の原理と贈与の原理を再掲しておこう。(以下「交換の原理・贈与の原理のメモ。」より)。

交換の原理

  1. 商品はモノである。つまり、そこにはそれをつくった人や前に所有していた人の人格や憾情などは、含まれていないのが原則である。
  2. ほぼ同じ価値をもつとみなされるモノ同士が、交換される。商品の売り手は、自分が相手に手渡したモノの価値を承知していて、それを買った人から相当な価値がこちらに戻ってくることを、当然のこととしている。
  3. モノの価値は確定的であろうとつとめている。その価値は計算可能なものに設定されているのでなけれぽならない。

贈与の原理

  1. 贈り物はモノではない。モノを媒介にして、人と人との間を人格的ななにかが移動しているようである。
  2. 相互信頼の気持ちを表現するかのように、お返しは適当な間隔をおいておこなわれなければならない
  3. モノを媒介にして、不確定で決定不能な価値が動いている。そこに交換価値の思考が入り込んでくるのを、デリケートに排除することによって、贈与ははじめて可能になる。価値をつけられないもの(神仏からいただいたもの、めったに行けない外国のおみやげなどは最高である)、あまりに独特すぎて他と比較でぎないもの(自分の母親が身につけていた指輪を、恋人に贈る場合)などが、贈り物としては最高のジャンルに属する。

VC・エンジェルの贈与 

VC、エンジェルの贈与性ここで、時間を強調したのは、Web2.0的企業(つまりシリコンバレーモデルとでも呼べるもの)は、個人の努力だけでは成立不能であることをご理解いただくためである。

つまり、Web2.0的企業は、ハッカー精神に溢れる、少数の技術者が、自らの興味(楽しいこと)を追求することから始まる。

それを支えるのは、VC(ベンチャー・キャピタル)、エンジェルの存在であるが、そのVCやエンジェルは、当然に見返りを求める。しかしそれは、時間をかけて、なのであり、極めて贈与的なものであることに気づくべきだろう。

つまり個人が(シリコンバレーのように)活性化するには、贈与的なものの下支えが必要なのである。昨今もてはやされている、個人の自己責任の強調や、お金儲けのインセンティブ(交換)だけが、個人が活性化する条件ではない。

日本が元気がないように見えるのは、交換の原理、即時的、ショートカット的金儲け思考が支配的だからだ、と私は考えているわけで――それは贈与の温床である共同体性の破壊とともに進展してきた――、時間をかけて育てる(見返りを求める)ことを忘れた企業も個人も、結局はただ滅びていくだけなのだろう、と(私は)思う。

ついでに言えば、ビジネスモデル、なんていうのは、後から考え付くのであって、最初からそんなものをもって起業する個人なんて稀だろう。(少なくともハッカー精神に溢れる方々なら)。

Radical Trust

ここでは、シリコンバレーモデルを支えるものとしてWeb2.0 meme から Radical Trust(過剰な信頼)を示した。山岸利男教授のいうように、日本人はアメリカ人よりも人を信頼しない。それは信頼の担保を外部装置(共同体)においてきたからである。詳しは以下をご参照いただきたい。

葉月会の三位一体モデル

葉月会の贈与ここでは、葉月会(空知経営研究会)の三位一体モデルを示した。

葉月会は贈与共同体でしかないけれども、その存在の意味は、純粋贈与のところに位置する、自然、地域社会、そして会員の世話(贈与)をすることである。

まず、そこで(時間をかけて)生まれてくる純生産は、個人としての会員そのものであり、その純生産としての会員は、交換の原理と接続することで、経営者という商品に転換する。(実際葉月会は、個性溢れる経営者を生み出してきた)。

地域社会に対して贈与をきちんとやってきたのなら、それは信頼(Trust)という純生産を生むだろう。それは交換においても、メタ情報であることで、経営者を支えることになる。(しかしそれは出来ていないように思う)。

浅草グルメマップ(岩見沢編)

最後に、「浅草グルメマップに岩見沢市を追加したこと。」を示した。この意味することは、これも地域社会に対する贈与である、ということだ。(私の場合は浅草だけれども)。

こんなものは、議論してつくるのではなく、つくりながら考えるのである。

(編集中)