鷲神社
鷲神社


午前7時20分起床。浅草は晴れ。

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

さて、今年はいつもの浅草寺への初詣ではなく鷲神社から吉原神社へと参詣することからはじめることにした。それは住居が変わったせいで距離的に浅草寺がやや遠くなったせいもあるけれど、このコースは酉の市の時の常用コースでもあり、そしてどちらも浅草の後戸的存在であることで、私の裏浅草的生活には欠かせない神社だからでもある。

とはいっても酉の市の賑やかさがあるわけもなく、熊手売りもなければテキヤもない。けれども質素で静かな、けれどもどこかで浮世離れしているような、裏浅草的正月空間をつくりだしている。

鷲神社

鷲神社 鳥居 鷲神社参道
鷲神社の入り口と参道

茅輪

茅輪鳥居から本道までは一直線であり一見すると子宮的構造のもつ螺旋がないように思える。しかしちゃんと螺旋の構造はあってそれが茅輪である。鳥居と社殿の中程に設けられた茅輪は参詣の人々がまっすぐに進むことを拒否している。

茅輪は〈あちら側/こちら側〉の境界である。しかしそのくぐり方は厄介だ。慣れないと戸惑う。だからこそ螺旋となるのだが、まず左周りに1回、次に右回りに1回、そして左周りにもう1回。つまり茅輪の両端を八の字(メビウスの帯)を書くようにくぐってから社殿へ向かう。

もっとも私以外にそんなことをしている方はいなかったったけれども、それは茅輪の意味を知らないだけだし、知らないからと言ってなにか問題があるわけでもないだろう。しかし螺旋はちゃんとある。

整列する人々

行儀よく並んで参拝するのが東京的というのか、この整列する人々をみると私は感心してしまう。それは別に寺社仏閣だけでなくトイレでもランチでもそうなのである。

東京の人は並ぶのが好きだ。たぶん人口の多いところに棲んでいると、生物的(というか「街的」にこうなるのだろうな、などと考えながら私も行儀よく並ぶのである。

境内では麹の甘酒がふるまわれていて、それは甘さ加減が絶妙でうまい。もちろん湯飲み茶碗に注ぐのも後片付けも自分でやるのは「街的」な掟なのである 

鷲神社 社殿 鷲神社 甘酒

吉原神社

吉原神社
吉原神社 弁財天

吉原神社はなにか哀しい。この神社は後戸だけれども、さらにこの後戸があって、それは弁天池(吉原弁財天)だ。今日はちゃんとそこもお参りしてきたのだが、そこまで足を延ばすことがこの神社の螺旋なのだと(私は)勝手に解釈している。

それは浅草は屍の上に今の生があるということを忘れないようにするための装置であって、その血縁とは関係のない縦糸があることで、浅草には「街的」な横糸のつながりが生まれ、面的な紐帯が機能しているということなのだ、と(私は)勝手に思っている。

鷲神社
台東区千束3丁目18番7号


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