不忍池
不忍池


花見が好きだ

午前7時起床。浅草は曇り。雨はたぶん降らない…と思う。昨日は上野へ花見に出かけた。あたしは花見が好きである。好きといっても、花を眺めながら酒を飲むのが好きだとか、ブルーシートで陣取りをするのが好きだとか、そもそも桜の花が好きだとか、というようなものではなく、ただ、桜の咲くころの光が好きなのだ。その光を通して見える(世界)が好きなのである。

その光という形容も、抽象的でなんだかわからないものだろうが、それは桜の花が咲く以前とはあきらかに違った「色」なのだ。つまりは空気の屈折率、密度、スカスカ感、不純物混合率が違う。

一年中で一番空気の粒が"きっちり"と並んでいるなと感じるのは冬で、夏場は逆にスカスカで不揃いである。花見の頃の空気は、整列していた空気が崩れかけ、その隙間に不純物が混じり始まるのである。

その不純物も粒が大きい。それで光も不純に屈折するのだが、その不純に屈折した光を通して見る(この世)は、輪郭のぼけた水彩画のようなもので、その境界性のなさが(あたしは)好きなのである。桜の花はその象徴のようなもので、光をきちんと反射しない。満開の桜は光的にぼけている。

上野の桜

桜 上野公園

上野の桜はほぼ満開、というところだが、まぁ、こんなものであるはずものなく、もっと咲くのもたしかなのであって、今度の土日がピークだろうな、と思う。昨年は4月1日を満開だと記録しているわけで、つまりは昨年よりは少し早い春である。

トルネードポテト

向かうのはいつものように、弁天堂の子宮的構造。人出はまだ少なければ屋台の数もまだ少ない。急にやってきた満開に、すべてが急ごしらえなのだろう。そんな中で見つけたのがトルネードポテトなるテキヤ食品。

弁天堂の子宮的構造 トルネードポテト

トルネードポテト
トルネードポテト 300円

これは、ジャガイモをぐるぐると螺旋状に切ったものを串刺しにし、それを油で揚げたものだ。それに、バーベキュー味とかコンソメ味とかチーズ味のパウダーをかけてもらって食べる。まずくはないがこの形状である、食べづらい。

しかしテキヤも進化するのだなぁ、と感心したのは、この姿になる前のものは、カットされたジャガイモ1個1個が真空パックになっていることで、「へぇ、近代的だねぇ」と思うのだ。たぶん中国の工場あたりでつくっているのだろうが、原価はいくらなんだろうな、なとと無粋なことを思ったりするのは商売人の性だろう。

そしてこれ、食べながら歩くと、やたらと目立つという得点つきなのであった。それも外国人が奇異の目で見ているわけで、商品自体が宣伝媒体になっているという、テキヤ食品としては久しぶりのニューフェイスは、なかなかの業師でもあった。