おぼんのような世界の外にインターネット
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2008年6月12日日比谷総合設備札幌支店安全衛生大会での講話で使用したPPT。

解説

午前6時起床。浅草は晴れ。昨日は日比谷総合設備札幌支店安全衛生大会で講演。演題はとくに決めていなかったのだけれども、あえて今つけるのならば《「うちの商品とは何かと言うときに、それが「うちの社員です」と言おう》がいいなと思う。

それは昨日書いたフレーズでもあるけれど、昨日はこの講演のために考えたフレーズを忍ばしてテクストを書いていたのであって、だからそれが講演の演題であっても不思議ではないのである。

その解説については、書くかどうかわからないと言ったけれど、とりあえず簡単に書いておきたい。(とは言っても簡単にかけるような内容ではないのだけれど)。

「交換の原理」は人を育てない

普遍経済学のトポロジーそれは例によって普遍経済学の話だ。つまり経営に、会社ぐるみで世話をするものとしての「純粋贈与」を加え、贈与としての会社組織を機能させようということだ。

「贈与」を忘れた経営は人を育てようとする機能がないことで、この国のためにも、会社のためにも、従業員のためにも、そして社長のためにもならないのである。

そもそも我々の業界(建設業)に新卒即戦力なんてあるわけはなく、建築でも土木でも電気でも技術を身につけて一丁前になるには時間がかかる。つまり人材は贈与の仕組みでしか育たないのである。

それを忘れた産業は人材を育てられないことで衰退するのであり、そんな産業ばかりなら国力も弱る。

だいたい即戦力経営をしたければ、建設業なんてやっていないで、コンビニかチェーン店のフランチャイズでもやっていればよいのであって、そこでは特に人を育てる必要もなく、時給850円の「交換の原理」でお金儲けを目的にして経営をしていればよいのである。

「おぼんのような世界」には「純粋贈与」がないから目的がないのである。

しかし「お金儲けが目的」なんていうのは、日本語を知らない人の言うことであって、お金儲けは「目標」でしかない。だから日本語を知らないミートホープの社長はこう言ったのだ。

会見で、田中社長は目的についてコスト削減を挙げ、「豚のくず肉を10-20%混ぜることで、通常より一、二割安くなった」と説明した。(熊本日日新聞:2007年6月22日:26面より)

偽装で破綻した経営者は、目的と目標の違いを知らないのだ。では何故知らないのかといえば、彼(女)らの経営には「純粋贈与」が無いからである。純粋贈与とは自然のことである。自然とは市民社会、社員といった人間を含む自然である。それらの「世話をする」という「贈与の原理」が働かないのなら目的は金儲けでしかなくなる。つまり「交換の原理」しか働かない。

では何故に「純粋贈与」が無いのかといえばそれは経営者がまだ「おぼんのような世界」が機能しているからと思っているからでしかなく、しかし「純粋贈与」を持たない「おぼんのような世界」は既に破綻していることを知らないからだ。

つまり「経営=環境×原理」の「環境」を知らないのである。ここでの環境とは「ウェブ化する現実」であり、今や「ウェブ化する現実」にいる(知ってしまった)人々(従業員を含めた市民社会である)は、判断を自分でする人々なのである。つまり「おぼんのような世界」でその主の言うことにタダ判断を委ねているわけはないのだ。「何人もその家卑の前では英雄足りえず」なのである。

しかしそれは「おぼんのような世界」が不要だと言っているのではない。「おぼんのような世界」は必要なのである。なぜならそれが「贈与」の仕組みだからだ。「贈与」は「純粋贈与」の世話をするシステムとして必要なのである。

情報を発信すること

足りないのは「純粋贈与」なのである。では「純粋贈与」を得るためにはどうしたらいいのだろう。

それは(おぼんのような世界の外に向かって)「自ら情報を発信すること」でしかない。つまりそれは自らの「ひねり」のことであり、「ウェブ化する現実」にいる(知ってしまった)人々(従業員を含めた市民社会)に対する情報の発信である。

その取り組みを全社をあげて行うことで、《うちの商品は「うちの社員です」》は可能になるだろう。その《うちの商品は「うちの社員です」》への過程がIT化なのである。