熊本県議会で、川辺川ダム建設について反対を表明する蒲島郁夫知事=11日午前10時25分熊本県の蒲島郁夫知事は11日の県議会で、国が同県相良村に計画している川辺川ダムの建設について「現行計画を白紙撤回し、ダムによらない治水対策をすべきだ」として反対を表明した。知事の判断に法的拘束力はないものの、国は手続き上、知事の意見を聴くことになっており、中止を含めた計画の大幅な見直しを迫られることになる。全国の大型公共事業をめぐる議論にも影響を与えそうだ。

計画発表から42年になる川辺川ダムをめぐっては、洪水防止の面から必要との推進派と「清流が失われる」といった環境問題などを訴える反対派が激しく対立。県知事は推進派が続いたが、平成12年に就任した潮谷義子前知事は中立を主張した。反対派が起こした利水訴訟で15年に国が敗れ利水事業が撤退するなど、多目的ダムとしては計画が行き詰まっていた。from 熊本知事が川辺川ダム計画に反対表明 - MSN産経ニュース


昨日の、熊本の地元TVの話題はこれだった。あたしは、洪水防止の面からダムは必要と主張するわけでもなく、勿論「清流が失われる」といった環境問題などを訴える反対派であるわけもない。ただ、よくぞ計画発表から42年間、今までこの計画を温存しておいてくれた、と思っている人間としての推進派である。

つまり公共事業に予算がつきにくいこの時代に、ペンディングされている事業があることは素晴らしいことなのだ。なぜなら、それは実行に移すだけで、地域版のニューディール政策になるからだ。(補正予算の捻出に頭を痛める必要もない)。

それは、ハードランディング的な構造の改革で疲弊した地方の、依って立てる足場になれるだろう、と思う(しかしそれに依存したまま=ヘタレなら元の木阿弥なのだけれども)。

なので今回の知事表明を(知事の判断に法的拘束力はないけれど、たぶん中止になりそうなので)、単純に、あーもったいな、と思うのだ。

この川辺川ダムのような問題を、このような視点から見るのは、批判されることが多いのだけれど、あたしがこんな見方をするのは、これは結局は安心と信頼の問題だからであって、安心と信頼の区分ができない日本人は、この手の議論に陥ると万事休すでしかないからだわね。

近くにダムが建設されるという計画が発表されれば、住民の中にはその必要性について疑問を持つダム建設反対派の方々が出てきます。それに対して、ダム建設推進派は治水の問題や、建設による地元経済への貢献期待など、ダム建設による効用のPRを行い、ダム建設反対派を説得しようとします。この場合、ダム建設推進派は、問題はダム建設の効用という「能力」であり、建設反対派の不信は、「能力」に対する不信に基づくものであると考えているわけです。これに対して、建設推進派がいくらダム建設による効用をPRしても、建設反対派の不信はあまり解消しない場合が多いのです。これは建設反対派には、自治体や政治家や建設会社なのどの建設推進派の「意図」に対する不信があって、自治体や政治家や建設会社なのどの建設推進派は、本当のことを住民には知らせないだろうと思っているからです。(山岸俊男,『信頼の構造』の中の「原子力発電所」のはなし(p36)をモデルとしています)。Lesson14 信頼ってなに?(4)―信頼と安心 from 桃論―中小建設業IT化サバイバル論