桃知商店よりのお知らせ

小泉純一郎元首相の引退。

小泉純一郎東京 25日 ロイター] NHKなど国内各メディアによると、小泉純一郎元首相(66)は25日、次期衆院議員選挙に出馬せず、今期限りで引退する意向を関係者に伝えた。共同通信によると、次男の進次郎氏(27)を後継候補とする方向。

小泉元首相は今月に入って都内で開かれた出版記念フォーラムで「もう少し頑張って、この日本をよくするよう、側面からお役に立てればと思っている」と語っていた。

また「自民党を取り巻く風は厳しい。逆風のなかの逆風だ」とし、「結党以来、最大の逆風の選挙が待ち構えている」とも話していた。

小泉元首相は1972年に30歳で衆議院に初当選。小泉改革への国民の圧倒的支持を受け、2001年4月に首相に就任して以来、2006年9月まで約5年半の長期政権を維持した。


あたしはこの10年、なにと闘ってきたのだろう、と自問するなら、その最も多くの時間を費やした固有名詞は、小泉純一郎さん、ということになるのだろう。勿論そこには、小泉さんを支持する人々、はやし立てたマスコミ(テレビ村)や、なにかの偶然で生まれてしまった小泉チルドレンも含まれてはいるのだけれども、では、小泉さんが引退すれば、小泉的なものはなくなるのか、と言えば、そうではないだろう(小泉チルドレンは消えてしまうだろうが)。

では、小泉的なものとはなにか、といえば、それがよくはわからない。それをリバタリアニズムのOS化への動き、と言ってしまうのはハズレではないかもしれないが、全てではない(つまりアタリでははない)だろう。そんなもの、一部のリバタリアンを除けば誰も望んではいないだろうし、そもそも小泉さん支持者でも、リバタリアニズムがなにかを知らない人は多いだろう(たぶん)。 

しかしそんなことはおかまいなしに、国民は小泉さんに熱狂した、という事実はある(政治バブル)。ニクラス・ルーマン『情熱としての愛』という著作があるけれど、小泉さんは、ある時代の「愛のようなもの」だったのではないだろうか、と(あたしは)思う。

ただそれは、極度に個人化された「みんな」を、何処かで繋ぎ止めていたもの、という程度の意味でであって、マルチチュードと呼ぶには個のエッジは立っていなし、ただ個人同士の体験と行為により、差異を埋めあう「愛のようなもの」なのである。それは反小泉であるあたしらでさえもそうだった。

小泉さんはテレポリティクスの達人で、彼の言動はわかりやすい、と言われた。そしてそのわかりやすさに熱狂したり、反発したりしたあたしらがいた。しかしそこで小泉さんが、もっともわかりやすく照らし出したのは、彼の政治政策や姿勢ではなく、社会から切り離された、バラバラの個人が「愛」以外の方法で、差異を埋める方法だったのかもしれない(それを全体主義という。たぶん)。そこにはいつも熱狂があるのだけれど、愛(のようなもの)と同じように、それもやがて冷める、ということなのか。

追記:ロイターオンライン調査(2008/09/26:18:00現在)

小泉元首相が政界引退を表明。「小泉改革」へのあなたの評価は?

構造改革が進み、良かった  (164票, 39%)
格差が広がり、良くなかった  (183票, 44%)
どちらとも言えない  (70票, 17%)

Comments [2]

No.1

結果、後継者が次男ですか!?
なんだかな~!!

No.2

>butchiさん

世襲制格差を作りだした張本人ですから…w

このページの上部へ

プロフィール

桃知利男のプロフィール

サイト内検索

Powered by Movable Type 5.2.13