桃知商店よりのお知らせ

やっぱりパチンコは資本主義最後の商品なのか―キー局まで広がったパチンコ広告。

パチンコCMは4年で10倍にテレビ局の焦燥感は、パチンコ関連CMの急増からも見て取れる。地方局では珍しくなかったが、最近は在京キー局でもパチンコ機器メーカーのCMが目立つようになった。CM総合研究所のまとめによると、キー局5局のパチンコ関連CM投入回数は、2004年の2066回から2007年には1万3151回に急増。今年は10月までの累計で、既に昨年を大幅に上回っている。年率換算すると、2万回近くになる計算だ。

これを不安視する声も出始めた。放送倫理・番組向上機構の青少年委員会は4月、パチンコ関連CMについて審議。委員は「パチンコCMを受けないと経営的に難しいのか」「(各局のCM)考査の基準が緩くなってきているのではないか」などの問題点を指摘した。from キー局まで広がった“パチンコ広告依存”:NBonline(日経ビジネス オンライン)


午前6時起床。浅草は晴れ。在京民放キー局の2009年3月期の連結業績見通しの変化パチンコをしたことのないあたしは、(それをいいことに?)何度かパチンコに言及して(悪口を言って)いて――たとえば『パチンコ、パチンコ、パチンコにいくのさ。若しくは、集団的で一人ぽっちの「みんな」。 from 140B劇場-浅草・岸和田往復書簡』を読んでいただければ嬉しい――、要約すれば、

  • パチンコはあんな大勢でやっているのに、いつもひとりぽっちの、じつに寂しい娯楽である。
  • パチンコは地方資本主義最後の商品化かもしれない。
  • つまりパチンコが主流の娯楽である地方は、寂しい「みんな」ばかりになってしまっている。

ので、あたしゃ悲しいのだよ、と。けれど、在京のキー局でもパチンコのCMが目立つのはたしかで、地方経済を牽引していたパチンコ産業は、ついに(娯楽なんてなんでもあるはずの)東京を席巻してしまったということなのか。

それは「みんな」ばかりで「われわれ」がますます衰退してしまった社会になってしまった、とうことだとするなら、「交換の原理」万能の経済(消費者大量生産)を牽引してきたTV村としては、当然の帰結なのかもしれないなと思う。

まあ、うちの近所(千束通り)にも1軒だけパチンコ屋はあって、あそこは出ないからやらない方がいいよ、といっているわりには、けっこう町内会的には利用頻度は高いようだし。

景気の悪いときには、3Kと呼ばれる、交際費、広告費、交通費から企業は出費をひかえはじめる――うちも当然そうだけど――ので、まあ広告で食べている業界はたいへんだよね、と他人事じゃなく思う。ましてや今は、インターネットがあって、それは立派な広告媒体となっている。なので新聞広告も、雑誌広告も、そしてテレビ広告でさえ減収なのだから、TV村ははパチンコに頼るしかないのか。

けれどそのパチンコでさえ、可処分所得の範囲内でしかできないことは先にも書いた。つまりパチンコなんてものはサブカルなのであって、テレビでCMを流さなくても、普通に「みんな」の娯楽であるのが理想ってことなんだ(あたしはそれでもやらないけれども)。

Comments [2]

No.1

やはり都会では珍しくなかったのものだったんですね・・

こちらでは(石川)ずっと以前から深夜のCMはパチンコばかり。月曜朝の朝刊の折込チラシは半分以上がパチンコの新台入れ替え。中はちょっと空いてから、木曜から週末まで怒涛の新聞宣伝テレビ宣伝です。

実家は高齢化の進む漁師町ですが、大きいパチンコ屋が出来てから、どこかのおばあちゃん探すのにも「あそこのパチンコ屋やわ」という会話です。

お祭りの日には駐車場を開放し、安く食べ物を売ったり、地域に溶け込んでいる様子です。
でも健全な遊戯として続けられない人も多く、不穏な話も聞きます。

そういううちの義父母も毎週どころか夜も通ってますが・・
寂しいのか、なにか刺激が欲しいのか・・・。

とくに高齢の人は「テレビや新聞で言ってたから」とかの情報がメインですから、これはまるで国をあげて推奨しているみたいなもんだなあと感じてしまいます。

ショッピングセンターとパチンコやにいくのが娯楽、というのはなんだか寂しいです・・。

No.2

>ぽんぽこさん

コメントありがとうございます。

>ショッピングセンターとパチンコやにいくのが娯楽、というのはなんだか寂しいです・・。

あたしは耐えきれません。死んでもいやです。
あたしが何故裏浅草に住んでいるのかといえば、パチンコ屋とショッピングセンターが少ない(というかショッピングセンターはない)からです。

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