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「何もしない人の分を何で私が払う」という麻生首相はリバタリアンなのか。

麻生太郎「たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」。麻生首相が20日の経済財政諮問会議で、こんな発言をしていたことが、26日に公開された議事要旨で明らかになった。自らの健康管理を誇ったうえで、病気予防の重要性を訴えたものだが、保険料で支え合う医療制度の理念を軽視していると受け取られかねない発言だ。

首相は社会保障費の効率化の議論の中で「67、68歳になって同窓会に行くと、よぼよぼしている、医者にやたらかかっている者がいる。学生時代はとても元気だったが、今になるとこちら(首相)の方がはるかに医療費がかかってない」と指摘。自ら日課にしている朝の散歩が役立っているとしたうえで、「私の方が税金は払っている。努力して健康を保った人には、何かしてくれるというインセンティブがないといけない」と強調した。from asahi.com(朝日新聞社):「何もしない人の分を何で私が払う」医療費巡り麻生首相 - 政治


あたしは今朝(先のエントリーで)、今まで書くことはなかった麻生さんの悪口を書いたけれど、「何もしない人の分を何で私が払う」という麻生首相の発言を知って、これまた為政者としては破格な人だなあ、と笑ってしまった(別に驚きはしない)。こんなことは、どんなリバタリアンでさえ(思っていても)云わない。

第二次補正予算を先送りしたあたりから、なんだかおかしいな、と思っていたらこれだもの。自民党支持者のあたしは、どうしたらいいのかわからなくなってしまったじゃないか、なのである。

麻生さんは、生まれながらのリバタリアン的なところがあるようで、それは今回の発言に極まった感がある。リバタリアニズムの古典であるジョン・ロックの『統治論』はこう云っている。

正義が万人に自らの誠実は勤勉の産物と先祖から伝えられた正当な獲得物への権限を与えるように、慈愛は、他に生きていく手段がない場合、極端な欠乏から自らを救うだけの分の他人の余剰物への権利を万人に与える

けれどこれは、日本国憲法第二五条でいう「健康で文化的な最低限の生活」の保障でしかないわけで、これを超えた公的な年金や雇用保険や医療保険は政府の仕事には入らない(民間に委ねられる)、と考えるのがリバタリアンである。それはまさに、今回の麻生さんじゃないの。

しかし麻生さんときたら、大型の補正を組んだ(リバタリアンはこんなことはしない)かと思えば、定額給付は投げやりだし、IMFに出資しますといって新興国を喜ばせたかと思えば、今回の発言だもの、彼の政治信条は、意味不明なのである。一本筋が通ってない、というか無いのじゃないだろうか(たぶん)。やっぱりあたしは、この人は、ただ単に頭が悪いんだ、と思うことで、自分に決着をつけるしかないようなのだ。

追記:ところで「たらたら飲んで、食べて、何もしない人」って、まさにあたしなわけで、あたしは(今は)病院通いはしていないけれど、たぶんそのうち世話になるだろうから、「たらたら飲んで、食べて、何もしない人」で、どうもすいません、と今のうちに謝っておこう。

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