「北関東は栃木からやってまいりました、U字工事です」の挨拶からはじまるU字工事の漫才が好きだ。あの栃木弁を聞くと、とどさんと八木沢さんを思い出す。
そのU字工事のがいじるのは、北関東三県(もちろん栃木県中心)+埼玉県だけれども、隣接する茨城県や群馬県を敵視するネタが、なぜかあたしは大好きだったりする(埼玉県は憧れの対象だっけか?)。
その茨城県から、丸干し
あー今年も干しいもの季節なのだな、と思えるのは、あたしの中にできあがった暦であって、思わず「待っていましたよ」と到着即二本食べた。パトリをもたないあたしは、暦と地図が薄い人なので暦はいつでも新しい。だからこそ浅草に居るのだと思うけれど、インターネットの縁というのは不思議なもので、こうして水戸の長谷川さんの暦を共有できたりしている。
それは"遠さ"の破壊であり、地図と暦を異にしてきた人々が出会うことの不思議であって、本来(あたしのような)家族主義者※1(というか保守主義者)が喜んで言うようなことではないかもしれないが、しかしあたしは、地図と暦の大切さを、インターネットから学んだのだからいいのである。
インターネットは、広くて薄い紐帯をつくることによって、あたしの「中景」を支えてきた。しかしそこにあったのはコミットメントなのか共感なのかよく分からない感覚(心象)で、「茨城の丸干し芋は最高にうまいぜ!」と言っているあたしは、食べながら長谷川さんのこと考えている。と同時に、この丸干し芋を作り出した茨城の風土にコミットメントしている(たぶん)。※2
たかが干し芋で、そんなことまで考えてしまうのは、この干し芋のうまさ故である。あたしは、『だから好きなように食べると、その粘着質の塊は歯にはからまりつくし、口の中はねっちょになるし、もうどうしようもないぐらいに妖しくそのうえ甘さに下品がない。これを肌が合うというのだろうか。そんなものはうちの近所では吉原だけであるが、あたしはとっくに引退宣言をしているわけで、だから長谷川さんが送ってくれるこの丸干し芋を首を長くして待っているのである。だからこれが届いた日は、すなわちいい日なのである。』※3 ぐらいに、この干し芋が好きなのである。
※注記
- 自由主義的人間、家族主義的人間、社会民主主義的人間―『ポスト工業経済の社会的基礎―市場・福祉国家・家族の政治経済学』 G. エスピン‐アンデルセンより。 参照
- あたし的には、コミットメントとは、主義主張に同意するような心象だと理解している。
あたし的には、共感とは、相手を思いやることのできる心象だと理解している。 - 茨城の丸干しいもはどこか妖しい。 参照