鴨なんば きつね丼
鴨なんばときつね丼


リズム

午前8時20分起床。浅草は曇り。楽しいお花見会も終わり今日は記録の整理。写真は3月26日に西元町の公楽という店で食べた鴨なんばときつね丼である。

丼物のメニューこの店(公楽)には、お客様にお連れいただいたのだが、それは恐ろしくもたのしい「街的」な店だった。

午後2時を過ぎていたけれどテーブルが3つの店内にはお客様が沢山。当然に相席である。相席というのは鬱陶しいかもしれないけれど街場の店なら当たり前のことでしかなく、自分の周りに絶えず〈他者〉が居るというのは街場暮らしの必然でしかない。

その鬱陶しさを楽しめないのは田舎者の証であって、ファミレスに相席がないのはファミレスが田舎者の店だからである。 

公楽のお客さんは近所の方ばかりであるのは見たらすぐにわかるし、あたしらが居る間も多くの方々が入ってきては蕎麦とどんぶりを食べさっさと帰る。

それはリズムである。

いい店は客をリズムに巻き込む力があるは世の常で(どんな常かは知らないが)、この店は間違いなく街的なリズムを刻んでいた。リズムとはルールであり、掟である。さっさと食べて、さっさと帰る、という義務である。その決まり事にリズムがあるのは、その店が街に愛されている証でもある。

鴨なんば

お客さんはほぼ100%そば+丼物を食べていて、あたしは勧められるままに「鴨なんば」を、そして(これはあたしの興味からなんだけれども)「きつね丼」を選んだ。

「鴨なんば」はあたしの街では「鴨南蛮」で「なんばん」が「なんば」になるのは難波となにか関係するのだろう。難波がネギの産地だったとか(たぶん)。

メニュー 鴨なんば

蕎麦も丼物も小振りのどんぶりだ。それは大三と同じぐらいかそれよりも小さいくらいに小さい。なるほどこれなら蕎麦+丼物は当然だなと思うし、そうしないと昼飯には物足りない。酒肴にするならともかくも。

出てきた鴨なんばは見た目からしてあたしの日常とは違うすがたをしていた。つまり異常である。

そばが更級系なのはいいとしても、汁の白さ(というか透明感)は、あーここは上方なんだな、という説得力に溢れているが、東京のあたしからみたら醤油を入れ忘れてのかと思う。――うちの近所なら弁天のにしんそばが唯一このかたちを継承しているけれど――あたしの日常では滅多にお目にかかれる蕎麦ではない。しかし見た目と違って鴨のあぶらもしっかり浮いた汁は、味付けもメリハリがあってうまい。つまりあっさりなんかしていないのは関西人の本音だろう。

蕎麦も想像以上にいい。

きつね丼

きつね丼は刻んだ油揚げを卵で閉じてた貧乏くさいものだが、貧乏くさいのには町内会的に慣れているあたしには、ある意味はまる味である(あたしはきつねの生まれかわりかと思うほどに油揚げが大好きなのだ)。

食べながらうちでも絶対につくってやろうと思う(がたぶんやらない)。そしてこのどんぶりもあたしの非日常な食べ物であることで、食べていてなにかこころがウキウキとしてきた。異邦人の快楽とはそういうことで、快楽は元気の源なのである。だからかわいい子には旅をさせろなのであるな(たぶん)。

公楽

公楽帰り際、店のデータとして箸袋を持ち帰えるのはあたしの常套手段。その箸袋を革ジャンの胸ポケットにしまおうとすれば、店のおかあさんから「電話番号はのせんといてや」といわれた。

曰く、昼時に電話をもらっても忙しくて対応はできないとのこと。公楽は出前はしていないのだが、時々店の場所を訪ねる電話があるらしい。

それだけの有名店であるということなんだろうけれども、あたしは思わず笑ってしまった。

それは(そんな電話に)「自分でみつけてきてやー」とかやっているかあさんの姿を想像してしまったからで、そういう飄々としたものを、あたしは公楽のかあさんにもこの店にも感じた。もちろん電話があれば場所ぐらいはちゃんと教えてくれるはずである。(たぶん)

しかしなんであたしが電話番号を載せる人なのかを察知したのかはしらないが、料理やメニューをカメラにおさめていたので要注意人物としてマークされたのだろうか。まあ街場のおかんの勘ってやつは凄いな(と自分的に納得させてみる)。  

店名 公楽 (こうらく)
ジャンル

そば

TEL

078-341-1406

住所

兵庫県神戸市中央区下山手通8-8-1

営業時間

11:00~16:00

定休日

土曜・日曜・祝日