『大転換―脱成長社会へ』 佐伯啓思

大転換―脱成長社会へ

佐伯啓思(著)
2009年3月30日
NTT出版
1600円 


午前7時起床。浅草は曇り。佐伯啓思さんの『大転換―脱成長社会へ』を一挙に読む。

この本は佐伯啓思さんによる『反古典の政治経済学要綱』(村上泰亮)もしくは普遍経済学入門のようにあたしには読めた。

しかし『反古典の政治経済学要綱』が持っている「幾分かは生物学的な枠組、基本的には情報(と普通呼ばれているもの)を基幹概念とする論議枠組」をこの本が持っているのかというとそうではない。

この本にいるのは経済思想史家としての佐伯啓思さんなのである。それは時代の主流となっている経済学を支えるある種の思想(パラダイム)を時間軸でみているということだ。

本書は、この経済危機の経済的な分析や解説を目指すものではない。また、政策論を展開するものでもない。本書の意図は、ただひとつ、この危機を西欧文明が生みだし、アメリカによって世界化された現代文明の大きな危機として認識する、というものである。いってみれば、この危機を、「文明の破綻としての経済危機」として認識、ということだ。 

なので多くの経済学者や社会学者の思想を紹介しながら、アメリカ種とでも呼べる市場原理主義の「パラダイム」が如何に主流になり得たのか(特に日本において)について語り、その問題点をあぶり出してみせている。

そのスタイルはベンヤミンの『パサージュ論』のように引用に溢れる。けれど引用が引用のままで終わるのではなく、まるでブリコラージュのように組み合わされながら、佐伯啓思さんの思想となってあらわれるのはいつもの通りなのである。

それは反古典の思想が貫かれるわけだけれども、その姿勢は闘う人のものだ。

それを読むあたしは(このサイトでも)佐伯啓思さんをずっとリスペクトしてきた人なので。93.8%ぐらいは賛同できる。もちろんそれは、反古典の立場においてであり、さらには普遍経済学的視点においてであり、佐伯さんの闘う姿勢においてである。

だからあたしは、この本を沢山の人たちに読んでいただきたい、と思う。 

けれど小泉-竹中路線(つまりなんだかよくわからない構造改革)をなんだかわからないママに支持してきた方々がこの本を読むということはあるのか、とも考えてしまう。

仮に読んだとしても、なるほどなあと思うのだろうか。

自分が信じてきたものが何かヘンだなと思うのだろうか。

書かれていることが意味不明であればそれを理解できるように勉強しようとするのであろうか。

それはあんまり期待できないだろうなと思う。なぜならこの本は(非常に読みやすいものなのだけれども)、構造改革が好きな人たちにはなんだかわからないことばかり書かれているに違いないからだ。

わからないモノに出合ったとき、99%の人たちはそれを無視する。わからないモノに出合ったとき、自らそれをわかるようにしようとする人は、きわめて希な人なのである。

あたしはそれは仕方がないことだと思う。

けれどその円環(わからないものをわからないままにしておくこと)に、どこかでひねりを加えなければ(つまりキアスム)、人は成長しないのもたしかだろう。