とりやさいカレー 1辛 1500円
辛さは0辛~5辛までの6段階。刺激の強い方がよいなら2 or 3
4とか5というのはあたしの領域じゃない「危険近寄るべからず」
SO905iCS+Orton風 by Picnik (2009/6/28)
午前6時起床。浅草は晴れ。昨日は寿二丁目まで足をのばし、
そんなあたし的にも、
味覚の記憶を手繰りながら、岩見沢のシーズ・ザ・デイを思いだし、そういえばシーズ・ザ・デイにも最近行ってないよな。こんど岩見沢へ行ったときには是非に行かなくちゃ、と思えるぐらいにちゃんとスープ・カレーしているのである。
つまりあたしは札幌・北海道のスープカレーを思い出していたのである。
それは、このスープカレーが、味覚の過去把持を蘇らせる装置として機能したということであって、つまり間違いなくこれは(札幌・北海道を先祖にもつ)スープカレー※1だということだ。
東京スープカレー
しかしOne or Eight はわざわざ「東京スープカレー」を名乗っている。その名指しは、このスープカレーの先祖は間違いなく札幌のそれなのだが、しかしそれ故に札幌・北海道のスープカレーではなく東京で育ったスープカレーなんだと云っている。
あたし的はこの名指し(「東京スープカレー」)は正解だと思うのだ。それは平壌冷麺に対する盛岡冷麺のようなものであって、〈東京/札幌・北海道〉の差異とは意外と簡単なことなのだ。
それは One or Eight のスープカレーは東京で育つから東京スープカレーなのであって、例えばシーズ・ザ・デイは北海道ではあるけれど岩見沢で育つスープカレーであることで、札幌のスープカレーとは違うものが表出してくる。
たべものは文化であり、いってみれば、その土地で生まれるべくして生まれてくる。輸入されたものであっても、それが基のママであることはまずない。
必ずデコードされ、その土地が持つ要素・素材(データ)とハイブリッドされ、エンコードされる――つまりそれは、外来を否定的にでも受容することの結果であり、創造性であり、キアスムである。
スープカレーには、そのようなミーム進化の軌跡が露出しているように思う。
露出とはつまり、進化のスピードが早いということだ。
それは強烈な適応可能性を秘めていることと同義であり、その進化(変化)のスピードこそが、スープカレーをして、われわれを惹きつけて止まない大きな要因なのだろうと思う。※2
育つことは「贈与」であって、時間のかかる変化である。One or Eight の東京スープカレー もそんな贈与的な進化をするスープカレーだな(たぶん)と勝手に思った。
One or Eight |
※注記
- 今まで(あたしの)近所にあった「スープカレー」はというと、フツーのカレーからメリケン粉を取り除いたようなものであって、たしかにそれはスープ風のカレーには違いないのだけれども、そしてそれをスープカレーと名指ししてはいけないとはいわないのだけれど、しかしあたしの知っているスープカレーじゃないと思うから、それをスープカレーと呼ぶことはなかった。
- ピカンティの進化するスープカレー。(札幌市北区北13条西3丁目) 参照