中沢新一(著) |
午前5時30分起床。浅草はくもり。最近新しい本は買うのだが、あまり読む気が起きないのは、どこかで気力袋に穴があいているからだろうが、けれど気力があろうがなかろうが、「もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵 」であるあたしは、活字がないと生きていけないのであるから、書架から読み慣れたものを引っ張り出してきては活字を追いかけている。中沢新一さんの『悪党的思考』もそんな一冊である。
悪党
あたしが「悪党」という言葉※1 を肯定的に使い始めたのは2004年12月のことだ。
【悪党、浅草に戻る】
今日はタクシーを使わず浅草に戻る。
上野駅前の丸井の温度計は、なんと20℃。
喉が痛い。
帰りのJAL便、
アテンダントさんに、ステキなブローチですね、と言われ、年甲斐もなく、顔が熱くなる。
今回の札幌ツアーは、お気に入りのカエルと一緒だった。
帰りのJAL便、
A木さまからいただいた、(↓)を読む。
建設帰農のすすめ
米田雅子(著)
2004年11月25日
中央公論新社
1890円
農業に感心のある方は、読んでみれば良いだろう。
こういゆ生き方もある、ということだ。
ただ、「建設帰農」という言葉には、違和感がある。
本当に「帰農」なのだろうか。
我々は農業からやってきたのだろうか。
確かに、多くの建設従業者は、農家出身者が多いだろう。
開発主義の文脈からもそう説明されてきた。
しかし、ホントにそうなのだろうか、という疑問が、ある。
それは12月5日の戯言で書いた、網野善彦氏の指摘が発端だ。
「明治初期、就業人口の85%を占めていた百姓ではあるが、この中で、田畠を耕している農民は、意外と少なかった。」
そして、ここでの疑問はこうだ。
建設業の経営者と言った場合、彼ら若しくは彼らの先祖は、農業を営むものだったのだろうか。
わたしは違うと思う。
それじゃ、彼らは何者だったのだろうか。
何者の末裔なのだろうか。
わたしの今の答えは「悪党」である。
これはあたしの建設業帰農論に対するナイーブな反論なのだが、この引用にでてくる網野義彦氏の指摘とは、『異形の王権』のことであって、中沢新一さんの『悪党的思考』は、そのオマージュとして書かれたものだとあたしは理解している。
そしてこの二冊の本は、普遍経済学へと続くあたしの悪党的思考の基底のようなもので、何故そうなったのかといえば、あたしは自らの生い立ちも建設業も百姓ではあるが農業人ではないことを自覚していたからだ。
例えば上図は日本の産業別就業人口割合の推移であるが、このグラフでは明治初期は第一次産業が85%を占めている。、しかしこれだけで日本人は農耕民族だというのは誤りであり、網野さんによれば、田畠を耕す農耕民は、この60%程度だったろう、と。百姓とは身分呼称であり、職業呼称ではなく、百姓には、農民だけではなく、林業や、漁業や、その他諸々の職業が含まれている。それを第一次産業というだけのことだ。
「悪党」とは悪事を働く者ではない。
あたしはこれをハイデッガーの技術論を借りて説明していたのだが、つまりハイデッガーのいう技術とは、自然の自然的プロセスが決して露わにしないような本質を、自然に素手で取り組みながら、けっして自然的とはいえないやりかたで、かくれた本質を顕在化させるものであり、これが悪党の仕事なのだと。そしてそれは、建設の技術にそのままあてはまるだろうとも。
当然に悪党の技術は、農業がその基底に持つような技術とは異質なものであり、つまり農業の技術とは、自然の自然的プロセスによってあらわにするものを、繊細な世話によって収穫することを基本にしているに過ぎない。
それは自然の自然的プロセスと自然としての人間の関係の技術であり、贈与と純粋贈与のまじわりに生まれる純生産の関係であり、「女の悦楽」(他者の悦楽)であり、大地に対する、繊細な世話によって自然が恵む富を収穫するものである。つまり普遍経済学である。
だからあたしは建設業が「悪党」でありながらも、農業のように、普遍経済学の文脈に納まるようなテクストをひたすら書き続けてきたのだ。なぜなら今は「悪党」が異様に生きにくい時代であるからだ。
※注記
- たとえば『悪党的思考の運用。(中沢新一が談合を語ると―ダカーポ連載第2回)』を参照
ここでは「談合」を肯定的に考える思考方法を紹介している