演説後に聴衆と握手をする麻生太郎首相=名古屋市中区錦で2009年8月2日、兵藤公治撮影衆院選:首相は「保守」強調 鳩山代表は「既得権」批判

首相は立候補予定者の事務所開きであいさつした後、街頭に出た。名古屋市内での街頭演説では、「革命的選挙をやると言っている政党もあるが、我々は革命を起こすつもりはない。自民党は真の保守政党だ。生活を守り、家族を守る。守るべきものは守ったうえで改革すべきだと申し上げている」と自民党の基本姿勢を強調した。from 衆院選:首相は「保守」強調 鳩山代表は「既得権」批判 - 毎日jp(毎日新聞) 参照


午前7時起床。浅草は小雨。あたしは小泉さんの自民党を真性の保守だとは思っていないけれども、水村美苗さん的に云えば、小泉さんは「保守的」だったのだ。曰く、

 経済学者のケインズが言った有名な言葉がある。
「今のことしか知らないのと、過去のことしか知らないのと、ぢちらが人間を保守的にするかわからない。」(『自由放任主義の終焉』 筆者訳)
 ここで「わからない」というのが、反語的な使いかたなのはいうまでもない。ケインズは、「今のことしか知らない」、すなわち、過去を知らないのが、人を「保守的」にするというのである。もちろん、「今のことしか知らない」のは、若い人には限らない。いい大人でも本を読まなければ「今のことしか知らない」。だが、若い人は、本を読んできた年月が必然的に少ないがゆえに、「今のことしか知らない」確率が高く、それゆえ必然的に、「保守的」である確率が高い。
 どういう風に「保守的」なのか?
 過激な言葉で人を驚かすのが「新しい」と思っていること自体が「保守的」なのである。※1

しかし今麻生さんが「自民党は真の保守政党だ。」というとき、それは小泉的なものの否定を意味しているはずで、保守・自民 vs 革新・民主という対立軸をつくり総選挙に臨む戦略なのだろう。

では麻生自民党のいっていることが保守なのかといえば、そうでもないようだし、そうであるようにも思える、といういい加減さなのだが、あたしは今の自民党ならいいなと思う。

ちなみにあたしが思う保守とは以下のようなものだ。

あたしがなりたい大人とは、真性の保守主義者を上書きでる自分である。それは「本当の保守主義者とは将来に備えて節約し、支出は収入の範囲内にとどめ、とりわけ過去の栄光がいつまでも続くとは信じない懐古主義者」(@ディヴィッド・ハルバースタム)なのであって、まあ、金融資本主義界隈には絶対にいない人のことだ。

「過去の栄光がいつまでも続くとは信じない懐古主義者」というのは後ろ向きのフレーズでしかないけれど、放っておけば、浪費を繰り返し、前しか見ない(夢しか追わない)あたしには、丁度いい上書きである。 

こういう大人は、「街的」や「町内会」的にはいたりするのであって(全てがそうではない。たまにいる程度だ)、あたしはお金儲けは好きだけれど、金融資本主義は嫌いで、「街的」や「町内会」は好きだ、といってきたのはそのためだ。※2

それにしても投票日までのこの間延び感は自民党には有利じゃないのだろうか。なにしろマスコミは扱う政治ネタがないのだから、あたしから見れば、自民党も、民主党も、見えないのである。

こうしてブログのネタにでもしようと思わない限り、日常の生活の中で、好きこのんで政治ネタを探すなんてことはないわけで。

※注記

  1. 水村美苗:『日本語で読むということ』:p25
  2. 首相が一晩で何万円もするような店で飲むのは庶民感覚とかけ離れているのか。 参照