この1年というもの


午前6時30起床、浅草ははれ。明日の暑気払いで使うためにPPTを作っていた。演題は『この1年というもの』を予定していて、2009年8月7日に脳梗塞で入院して、今日で丁度1年になるのだ。

1年たって思うのは、病院としてはほぼ完治した、と言いたいだろうということである。日常のことなら99%の確率でそつなくできるあたしを見れば、(病院の先生でなくても)みんなそう思うことだろう。

しかしあたしとしては70%というところが良いところで、それは特に講演能力の下落が大きいのだ。

パロール(話し言葉)を前提として行うあたしの講演は、その時のインスピレーションを大切にするために「でたらめ」だったのだ。その「でたらめ」さがおもしろさを生んだのであり、先の7月22日の講演でもそれを狙ったのだがそうはいかなかった。

それは語彙(ボキャブラリー)不足に(傍目には)見えるだろ。しかしじつは何も不足していないし、忘れてもいないのだ。ただ思い出したくても思い出せないのである。

思い出すためには最初の1文字が(これもインスピレーションのように)必要なのだ。その1文字の不足が今は痛いのである。忘れたわけでは無い、ただ最初の1文字が浮かばないだけなのである。

これをどう思うかだな。