裏ウェブ進化論(2)―Google八分。

| トラックバック(1)

午前7時起床。浅草は晴れ。今日も暑い一日となりそうだ。

 グーグル―既存のビジネスを破壊する

グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する 文春新書 (501)

佐々木俊尚(著)
2006年4月20日
文芸春秋

進化論的なWebの世界

『ウェブ進化論』や、Web2.0ミームと云うように、バーチャルな世界を語るとき、ダーウィニズム的な語彙(進化論的語彙)が使われるのに違和感は少ない。それはたぶん、Webが、リアルな世界よりその進化(変化)のスピードが速く、また変化が観察(把握)しやすいためで、「進化」への比喩が容易だからだろう。

ただ、Webの急速な進化は、もはやバーチャルな世界に限ったことではなく、(ハイブリッド的に)リアルな世界にも影響を与えていることは、昨日「7月13日盛岡での講演資料」にも書いた。

その理解に、私はキアスム図式を使っているが、その意味するところは、時代は――今も、ひねりを孕みながら――確実に変化している、と云うことであり、それもかつてなかった程に急速に、と云うことだ。

10年では長すぎる?

昨日のキーワードは「10年」だった。しかし、これから先のことを考えるには、「10年」は長すぎる単位かもしれない。この進化は、さらにスピードアップしてしまうだろう。なぜなら、その進化を支えているものが情報技術だからだ。

僕は、ひとことで言うと、特定の技術が特定の思想を体現することがあると考えています。技術は価値観に対して中立だと考える人もいると思いますが、僕はそう考えない。とくに、情報技術は、特定の社会観や価値観――それを「カリフォルニア・イデオロギー」と呼ぶにしろ「未来学」と呼ぶにしろ「ハッカー倫理」と呼ぶにしろ――のとても強い影響を帯びている。しかも情報技術がおもしろいところは、いままで思考実験だったものをすごく世俗的なかたちで露呈させてくれるところです。(東浩紀:『波状言論S改』p335-336)

そしてムーアの法則宜しく、その進化のスピードは凄まじくはやい。

偶然性から蓋然性への運動

進化のアルゴリズムは、多かれ少なかれ偶然性に支配されている――骰子一擲――。それを蓋然性にしようとするのが科学の営みなら、技術を基盤にした今の時代の変化は、社会全体から偶然性を無くそうとする運動が、大きく姿を変えて――多くの場合、それは見えない変化である――進展している時代とも云える。

その運動は、ニュートン、デカルトから始まったものだが、その対象が、自然から人間へ、そして人間の社会的活動の隅々まで広がり――例えば、心理学化、そしてマーケティング――、それが経済活動を支え、その流れが加速していることで、暫くは技術(科学)優位の時代が続くのだろう、と思う。 そして、この時代の牽引車が、今は、グーグル であることは異論のないことだろう。Googleの特徴を一言で云い表わせば、それは「ラディカルな、技術に対する、信頼」だと私は考えている。

私がこのサイトをブログ化した理由のひとつは、記事の固定アドレス化の為であり、それは検索エンジンでのヒット率の向上を狙ってのことだ――これは「裏ウェブ進化論―骰子一擲は続いている」に書いた――。その検索エンジンとは、勿論、Googleのことである。

Google八分

Webの世界には、村八分ならぬ、「Google八分」と云う言葉がある。つまりGoogleに引っかからなかったら、そのサイトは、Webの世界には居ないも同然だ、と云うことである――そこでは、つながりの偶然性もなくなってしまう――。それは過激な意見かもしれないが、ある意味当たっていると思う。

例えば、私がホームページ・ビルダーで作っていた旧サイトは、Googleではヒットしにくいものであることは、二三年前から感じていた。旧サイトでつくったもので、Googleの検索結果の一ページ目に表示されるのは、唯一「骰子一擲」だけである。

 → Googleでの、骰子一擲の検索結果

しかしこれは、最初から固定アドレスであったのであり、この検索結果も実は、ブログ化の効果が大きく――ブログ化した記事から何度かリンクを張っている――、それまでは、「Googlle八分」状態であったわけだ。

Googleは固定アドレスを好む。私がこのサイトをブログ化した理由のひとつ(全てではない)は、これなのである。 それは「Google八分」に対する、私の、密かな恐れの表出でもあるだろう。

そして昨日、ようやく「ももち ど ぶろぐ」にもPageRankが付いた(3/10)。一ヶ月目にしては上出来だろう、と、こうして、すっかりGoogleの術中にはまってしまっている。(笑)

技術に対する信頼

私は、Googleを、他の検索エンジンよりも信頼しているのは確かだ。それは、人手を介さないシステムだからだし、ちゃんとしたコンテンツを増やしていけば、私のような、「二分の一切断モデル」のようなブログしか書けない者にとっては、「つながりの偶然性」を齎す唯一のもの、と感じているからだ。そしてそれを情報技術に担保している。

以上は、Web上で「私」の存在を担保してくれる情報技術、という側面でGoogleについて書いたものだ。勿論これには「暗」の部分もある。しかし今回はそれには触れない。

『グーグル―Google』

さて、『グーグル―Google』と云う本は、十二日、盛岡行きのはやてに乗る前に、上野駅(えきなか)の本屋で購入した。盛岡駅に着くまでには読み終えており、途中、三〇分以上は寝ていたので、正味一時間程で読み終えてしまった本だが、書かれてある内容は、なかなかおもしろい。

「Google八分」や、私の、Web2.0ミーム中最大の関心事である「ロングテール」についても、わかりやすく書かれている。何よりも単なるGoogle賞賛本に終わることなく、その「暗」の部分――つまり、社会全体から偶然性を無くそうとする運動のことだ――にも言及し、凡百のIT賞賛本と一線を画している。そしてその言及が、現代思想(と云うか社会学なのだが)からの引用にも関わらず、"むずかしくない"のは、素晴らしいと思う。

ウェブ進化論』が、情報技術――そしてそれが下支えする社会に対する、ラディカルな信頼に溢れているとすれば、この本は、明暗を踏まえている。できれば、両方を読んでみることをおすすめしたい。この二冊で、今という時代の一端を窺い知ることはできるだろう。

ウェブ進化論

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる

梅田望夫(著)
2006年2月10日
筑摩書房

トラックバック(1)

ネットの「こちら側」と「あちら側」という概念の説明に、身近な現実に起きている事を例にして書かれているので、とても読みやすいです。将棋の羽生さんが登場したに... 続きを読む