Picasaのコラージュ―機械的なブリコラージュの時代の創造性について。

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Picasa2

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午前7時15分起床。浅草はくもり。 「浅草でランチ」のヘッダー部分のデザインを変更してみた。background-image をPicasa2 の「コラージュ」-「画面パイル」という機能を使って作成しただけだが、がらっと様子が変わった。

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もちろんPicasaも Googleの純粋贈与であり、Web2.0 memeに忠実に、Rich User Experiences(直感的操作性)を備えていることで、金銭的にも、技術的にも、負担をユーザーに課したりはしない(つまり簡単だ、ということだ、それもタダだし)。

画像パイル

ポロライドカメラ風のこのコラージュは、「画像パイル」と名付けられている。それは「決まりきったこと」しかできないけれども(パターン化されている)、このブログで使う素材なら、確実に提供してくれる程度の実力を備えている。例えば(↓)のようなコラージュも簡単にできてしまう。

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青森煮干中華そば つし馬。(観音通り:浅草1丁目)

ブリコラージュ

これは、レヴィ=ストロースの言葉を借りるなら、機械的なブリコラージュであって、それは器用仕事のことだけれども、そんな(本来)人間的な創造性さえ、今は、機械的なマッシュアップで機能代替されてしまう――「その気」さえあれば、誰もが、あるレベルのコラージュを創造できる――(だから必要なのは技術ではなく「その気」なのだ)。

Data as the intel inside

そんな時代に、私たちは、何をもって想像(創造)性というのだろうな、と思うのだが、やはり最後は、データ、Data as the intel inside しかないのである。データのないところからは何も生まれやしない。

そのことについては明日(15日)に行われる、空知建協でのプレゼンテーション教室の主題として扱うので、後日(その反省として)触れることになると思うが、つまり私達は、as the intel inside であるために、如何にデータを(自らに)集積できるのか、なのである――まるでオタクのようにね。(笑)

しかしそれさえ、「観察すること、言語化すること、バルネラブルに表現すること……によって、つながること 」でしかないのであって、例えばイントラネットの「現場状況報告」とか「ブログ」とか、「メビウスの帯の1/2×2モデル」的にそういうことを「存在することの習慣」として繰り返してきた人にはかなわないってことだろう(「考えるIT化」というのは、そのために私が考え出した方法=技術でしかないわけだ)

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