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還暦祝い!平成30年9月15日(土)桃組「小さな勉強会」と「暑気払い」のご案内。山と山とは出会わぬものだが人と人とは出会うもの(また会う道もある花の山)。

2018年08月01日|イベント


2007年02月24日(土) 

マッシュアップ。

仮説

仮説:技術は特定の思想の影響を受ける――特に情報技術(今ならWeb2.0と名指ししてもよいだろう)はその傾向が強い。

情報技術の発展を背景にもつことで、これまでアタマの中で思い描くしかなかったもの(思考実験)が、(小さなことからだが)世俗的に露呈しやすい。特に機械的な創造性(情報技術をもって作り出されるもの)においては、それは顕著だろう。そして今という時代の創造性は、情報技術を支えとしたブリコラージュやマッシュアップに溢れているのだが、ではそれを支える思想(時代)とは何なのだろうか。

マッシュアップ

Web2.0 memeのコア・コンピタンスには、「リミックス可能なデータソースとその可変性」がある。それを私は「マッシュアップ」と解釈している。

データベース化

マッシュアップは、ますデータベースありきである――データがなければマッシュアップにならない。データは対象のデコードとして蓄積される。そしてデコードされたデータはフラット(スーパーフラット)として蓄積されていることで平等であり、偶有性をもってエンコード(創造)へ流れ込む。

ブリコラージュ

創造性の三位一体モデルマッシュアップは、元々は音楽で使われだした言葉であり、概念的には、民俗学や美術の世界ではブリコラージュ(器用仕事)として昔からあるものだろう。

創造性の外部委託 

ただそれが極めて最近のことばであるのは、それが情報技術の発展が可能としたものであるからだ。

ボーカルと演奏部分を別々にサンプリングして、再度組み合わせるなんて、技術の大衆化がなければ不可能なことでしかなかった――それはまず音楽というミーム memeがデジタル Digitalに成り得た(若しくはデジタルなミーム・ビークルを得た)ことが大きい。

そしてそこでの創造性は、(個人として)特別な音楽的能力をさほど必要としない――とうか外部に創造性エンジンの一部を委任している。

そのことで創造の多くは陳腐であり、所詮ロングテールの屑に埋もれてしまうあるものが多いのもたしかだろうが――つまり放っておいても働いてしまうような創造性ではあるが、それは陳腐なことではないだろう。

対象性の知性

バイロジックこのときわれわれの創造性には、バイロジックでいう、対象性の知性が働いている。

つまり論理思考ではない、対象性の知性である。

そしてそれは、どちらかといえば体制(象徴)が把握しきれない非日常的な創造性でしかなかった――例えば、音楽におけるマッシュアップの殆どは著作権を侵害している。

BATTLE FUNKASTIC

例えば、昨年の法大ECで紹介したマッシュアップは、HOTEI vs RIP SLYMEの『BATTLE FUNKASTIC』であった。

BATTLE FUNKASTIC

HOTEI vs RIP SLYME
2006年1月25日
東芝EMI
600円(税込)

この曲は、布袋寅泰の「新・仁義なき戦い」とRIP SLYMEの「FUNKASTIC」のマッシュアップだ。

体制内/体制外

公(おおぴらに)に使えるマッシュアップはほとんどないので(私のPCにはたくさん非合法は詰まってはいるけれども)非合法でなく分かり易いものとしてこれを選んでみたわけだ。

音楽におけるマッシュアップは、典型的なデータベース化の賜物である。データには新しい音楽も古い音楽もスーパーフラット(等価)として並んでいる。そして勿論データがデジタルであるが故に可能となったブリコラージュだ。つまりマッシュアップは、勝手に機能する創造性のようなものでしかなく、そしてそれはいつでも現行の法体制では、違法―体制外の空間のものとしてはじまる。

それが今はキアスム的に市民権を得ようとしている時代なのだ――というか、そういう体制外のものまで商品にしてしまう交換の原理が凄いのだろうね、と言うことはできるだろう。

Web2.0とマッシュアップと交換の原理

Web2.0の基本技術はマッシュアップだと言ってよいだろうが、Web2.0は、体制外に溢れている(た)――YouTubeを最初に見たときは流石に驚いたし、Google ニュースは著作権を完全に無視して始まった。しかしキアスム的に――社会化するWeb、Web化する社会として――体制内(合法)のものとなろうとしている。

全体として経済―普遍経済学その原動力はなにかといえば、それは交換の原理でしかないだろう。

つまり交換の原理が、マッシュアップのもつ違法性、非体制性をロンダリングしている――交換可能なものとして。

ロングテール

しかしそこにはちゃんと階層があって、交換のロンダリングは、ロングテールのヘッドに向かって強く働き、テールに向かって弱く働く――つまりマッシュアップの外部性をより多く提供しているものに強く働き、そのサービスを享受するだけのものに弱い。

われわれにとってWeb2.0は、「あれば便利なものがそこにある。しかも無償で」に過ぎない。

そして私たちは、その技術の多くを無償で使うことで、マッシュアップ(ブリコラージュ)を(たぶん)過去のどの時代とも同じように行っている――つまり別に創造性がなくなったわけではない。

ただ過去と違うのは、その創造性が体制(というか交換の原理)に徐々に飲み込まれてしまうことではないだろうか。

たぶん〈私〉は、こうして技術的(Web2.0的)にマッシュアップで遊んでいるうちに、知らずしらずにロングテールに巻き込まれていくのだろう。

以上は仮説であり、これが良いことなのか悪いことなのかは、わからない。

投稿者 momo : 2007年02月24日 21:41 : Newer : Older

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