桃知商店よりのお知らせ

「ワンダーライン」 (by YUKI)という乳臭い歌にはまってしまったこと。

ワンダーライン
YUKI 「ワンダーライン


関西人 in Tokyo」以来約半年振りに楽曲を購入した。YUKIの「ワンダーライン」。購入したといってもso-netのポイントが貯まっていたのでWebMoneyに換金してモーラでダウンロードしただけのことで、つまり実質タダなんだけれどもこれはGDPには寄与するんだろうか。

まあそんなことはどうでもよくて、この歌が私に舞い降りてきたのはDoCoMoN905iのTVCM経由である。なんだかんだと言っている割には私はTV村の住人なのだ。

しかしTV村は溢れる接続詞の溜り場、粘着力の弱いゴキブリホイホイのようなもので、たしかに音楽に溢れてはいるけれども、そこにある全ての音楽が〈私〉の野蛮人を擽るわけでもない。ビビッと(by 松田聖子)こなくちゃいけない。だからこそ半年ぶりの購入なのである。まあテレビがなければ知らずに過ごしていただろうことは認めるけれども。

すべての音楽はテクスト狂の私には反則でしかなく「ワンダーライン」がその例外であるわけもない。それどころかこれはとんでもない反則なのであって、なにしろ音としての歌詞が楽し過ぎる。大脳新皮質は見事に麻痺しメッセージがどうしたなどと考えることを脳は拒絶してしまう。韻をふむ、というよりも言葉遊びのようにコロコロと続く音(おん)の羅列が私の脳みその深層を擽(くすぐ)るのだ。コロコロとである。

ワンダーライン つなぎあって 生まれていく空
ワンダーガール 私達は
虹の上からの ダイビング
オーライ!最先端で ワン モア キス
鳥のまなざしでワークアウトしてんだ
ワンダーライン アンド ワンダーガール
長い夢をくさりにつないだ船
階段ひとつ 下りて 点と 線を 結んだなら
ひといきついてもいいよ のらり くらり のらり 

こうして遠景・中景・近景歌詞(テクスト)を並べたところで、テクスト狂の私には反則でしかない=「想像界的」接続はさらに深まるばかりだ。読めば読むほど私の去勢不全を突いてくる。この歌詞のどこにも象徴界中景)なんてありはしない。

全ては皮膚感覚でお互いに感じ取れる距離である「近景」と、神秘的なものや占いを信じるような態度である「遠景」の交差に生まれてくるイメージに覆われている(「1.5の関係」)。実生活で「虹の上からの ダイビング」するやつはいない。

ただ虹に比喩される不思議な線(ワンダーライン)を唯一の媒介とながら点である〈私〉は〈他者〉と接続するのである。それは〈世界〉に接続するのではなく単子のような点と点との接続であり、〈他者〉にではあるが中景を省略していることで生活者としての〈他者〉ではない。「鳥のまなざしでワークアウトしてんだ」君は空を飛んでいる。挙句の果てに

生きている意味なんて 考えている暇ないのさ
Take me to the H・O・L・I・D・A・Y
遊ぶ Today Today Today いえーい

なのである。いえーい、だ。毎日が H・O・L・I・D・A・Y、信じられるのは現在(いま)だけ「遊ぶ Today Today Today」なのである。リアリティは想像界にしかないというのか。まいったぜこのハイブリッドには。白旗揚げてあたしゃ降参なのである。

ネットワーク化した社会を生きる大衆は、小さな自己意識の周辺に集まってくる無数の前対象を、反省に送り返すことなくイメージ化することによって、現実の表現をおこなっているに過ぎない。それはとりたててすばらしいことではないが、かといって陳腐なことでもない。ハイブリッドの氾濫、それはまぎれもない現実であり、十九世紀にマラルメのような人物がはじめて意識した問題は、いまや今日の大衆の実感になっている。(中沢新一:『フィロソフィア・ヤポニカ』 :p365)

ワンダーライン的接続――それはまさにケータイ・コミュニケーションであり「空気を読む」コミュニケーションである。小さな自己意識の周辺に集まってくる無数の前対象をイメージ化(想像・創造)している。その想像の場を空間ではなく〈線〉と表現したYUKIはすごい。「KY」の空気はじつは細い線としてのワンダーなんだ。成る程これは最高のケータイCMソングだな、とひとり納得していたりする。

しかしそれはとりたててすばらしいことではないけれども、かといって陳腐なことでもない。これを否定したら今の世の中接点はお金しかなくなる。たぶん世間はTV村を中心に精一杯こんな調子で動いている。それを愛と呼ぼうが友情と呼ぼうが勝手に勘違いしてくれなのであって、しかしこの乳臭さを(例によって)私は全否定できない。そして私がここで中沢新一を引用してしまったのは「ワンダーラン」に逆「骰子一擲」(ステフヌ・マラルメ)を感じたからだ。

星の明かり 頼りに 浮かんだ船
はにかんで 砂の城を 壊して トュナイト
航海を 夢見て ライフ ゴーズ オン

まだ想像界で遊んでいるだけで航海に出ることもない。「航海を 夢見て ライフ ゴーズ オン」なのである。 だから骰子の一振りなんてやったこともないのだろうしその必要もないのか。ああ乳臭い/けれど心地よい。この矛盾のシーソーがぎこんばったんとやりながら私の野蛮人を擽るのだろうな。一生遊んで暮らしたい。まあそういうことか。

Comments [2]

No.1

実験行動の答えがこれなのかな?と思ったりしています。

No.2

>海賊オヤジさん

YUKIについてはもう一本書いてみましたが、良くも悪しくも今を象徴する歌だと思いますね。特に歌詞が深遠だなと思いますが、もしそれを感覚的に書いているのなら詩とか俳句の次元です。興味つきませんわ。(笑)

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