資料―060701札幌「建設業のための考える技術セミナー」

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今回のセミナーは、二部形式とし、第一部では、空知建設業協会さんと、網走建設業協会さんより、それぞれ協会ベースIT化の事例を発表いただいた。

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空知建協 市岡さん、網走建協 宮田さん

両建協とも、IT化の狙いにはコミュニケーションがある。それは、協会内と協会外(他者)との相対化された二局面を持つ。相対化とはつまり、協会内のコミュニケーションにおいては、会員は「私」であり協会は「われわれ」である、と云うことだ。

しかし対地域社会では、協会は「私」であり、地域社会が「われわれ」になる。さらにそれは入れ子構造的に広がるのであり、例えば空知を「私」とすれば、北海道は「われわれ」になる。

この「私」と「われわれ」の「入れ子構造」は、「イエの原理」そのものなのだが、詳しくは、法大EC用メモ―イエの原理及びベルナール・スティグレールの「象徴の貧困」のレヴューを参照いただければと思う。

つまり、このレベル(空知や網走)のIT化の取り組みは、トーラス(円環:協会内)と、外部とのつながり(メビウスの帯)が連結するような、協会と云う共同体に、キアスム(考える技術)が実装され、外(他者)とのつながりを試みる、と云うものとなる。当然、両建協とも既に、そのレベルにあることは云うまでもない。

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トーラスとメビウスの帯の連結

第二部での私の講演は、この両建協の発表を受けてのものであり、内容は、「私」と「われわれ」と「コミュニケーション」の可能性についてであり、それを可能とする「考える技術」についてである。

コミュニケーションとは、「私」の機能について自己言及すること――情報を発信すること――であり、それ以上でもそれ以下でもない。

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その「私」=協会内部の連関に関しては、両協会とも日本トップレベルであることは間違いない。「象徴」は働き、内部連関は機能している。それが協会イントラネットに象徴される、中景であり、共同体性であり、スティグレールの云う第三次過去把持装置としての象徴であり、「われわれ」である。協会員(「私」)は、協会(「われわれ」)を通じて個体化を進めている。

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しかし、彼らが今取り組んでいる、そして、これから取り組もうとしていることは、云ってみれば、協会が「私」である階層でのコミュニケーションである。つまり「われわれ」が地域社会である(そしてさらに下部構造へ向かう)コミュニケーションであり、それは外的連関としてある。

外的連関では、キアスム的なひねり(創造性)が必要となるのは当然のことだ――トポロジー的には、トーラスとメビウスの帯が連結したハイブリドでなくてはならない――。

それは今、地域の建設業界に対して向けられている視線の反転でもあり、地域社会の疲弊――これは都市部の方々はピンとこないかもしれないが、着実に進んでいる大問題である(例えば夕張市、そして空知)――への(我々が行う、自らの機能への自己言及での)ひねりでもある。

つまり今回は、このひねりの基本となるキアスム(考える技術)についてのはなしをした。それを簡単に云ってしまえば、「象徴の一部否定」であり、「大きな流れ」の否定的受容としての個体化――とりあえずは大きな流れの中で流れて、それ以上のスピードで流れることで独自性を保つ――である。

この「象徴の一部否定」とは、二つの意味を持つ。ひとつは、(最初の)「われわれ」という共同体性(協会)の持つ象徴性(しばり)の一部否定であり、ひとつは、さらに大きな「われわれ」――例えば小泉・竹中改革の持つリバタリアニズム的象徴性――の一部否定である。

それは全部否定ではないことを――つまりハイブリッドであることを――、リバタリアニズム的性格の強い、Web2.0 memeの否定的受容の可能性を示して説明を試みた。そしてその基本になるものが、この活動に携わる、一人ひとりの「私」のバイロジック実装にあることを。

今回の私の講演は、私がパロール(はなし言葉)と呼んでいる方法を使って行った。それは、あらかじめPPTを作成しておかずに、過去に使ったPPTを沢山開いておき(場合によっては読み込み)、その場その場で、アドリブ的にはなしを進めていく方法である。今回掲示した資料は、その際に使ったPPTを集めたもの、とご理解いただければ幸甚である。

(編集中)