「社会学入門」(見田宗介)-のメモ。

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午前7時起床、浅草はくもりから雨に変わり、私は札幌へと移動してきた。

移動の間、見田宗介の『社会学入門』を読んでた。

社会学入門

社会学入門―人間と社会の未来

見田宗介(著)
2006年4月20日
岩波新書
819円(税込)

社会の存立の4つの形式

読んでいたといっても、それは確認でしかないのだが、その確認していたものが下の「社会の存在の4つの形式」という象限図である。

社会の存立の4つの形式

共同態:「ゲマインシャフト」.人格的な関係 personal
社会態:「ゲゼルシャフト」.脱人格的な関係 impersonal

意思的:自由な意思による関係:voluntary
意思以前的:意思以前的な関係:pre-voluntary (見田宗介:『社会学入門』:p18)

これは1年ほど前に読んでいて、ちゃんとした理解を保留にしていたものだ。それを今頃になって整理しているのは、ここで使われている〈共同態/社会態〉というバイナリーコードには慣れているが、縦軸に置く〈意思的/意思以前的〉に(私は)慣れがないので、ものにしてしまいたいな、という欲望である。(〈意思的/意思以前的〉とは自由の問題だもの)。以下、メモ的にまとめていこうと思う。

  1. 共同体 community(=〈即時的な共同態〉)。
    伝統的な家族共同体、氏族共同体、村落共同体のように、個々人がその自由な選択意思による以前に。「宿命的」な存在として、全人格的に結ばれ合っている、というかたちで存立する社会。
  2. 集列体 seriality(=〈即時的な社会態〉)。
    市場における個々人の「私的」な利害の追求に基づく好意の競合が、どの当事者の意思からも独立した、客観的な「市場法則」(価格変動、景気変動等々)を貫徹せしめてしまうという場合のように、個人の自由な選択意思がたがいにせめぎあい干渉しあうことの帰結として、どの当事者にとっても疎遠な(「物象化された)「社会法則」を、客観的=対象的 objective に存在せしめてしまう、という仕方で存立する社会。
  3. 連合体 association(=〈対自的な社会態〉)。「会社」とか「協会」とか「団体」等々のように、個々人がたがいに自由な意思によって、けれども「愛」による場合のように人格的 personal な結合ではなく、特定の、限定された利害や関心の共通性、相補性等々によって結ばれた社会。「契約」や「規約」による「ルール」の設定とその順守ということが、「連合体」としての社会の、典型的な、よく発達した、存立の形式である。
  4. 交響体 symphonicity(=〈対自的な共同態〉)。さまざまな形の「コミューン的」な関係性のように、個々人がその自由な意思において、人格的 personal に呼応し合うとう仕方で存立する社会。 (引用:p17-20)

ということで、今回はここまで。このエントリーは追記でメモ的に整理に使っていく予定。

コメント(2)

ももちさん的な「共同体」は上で言うと共同体と交響体のどっちなんだろうかが気になります。リバタリアニズムは、実装はもとより地方、郊外を集列体に解体してしまう危険性を持っていますが、
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004946.html
交響体を生み出す基盤にもなりうると思うのです。

>二流さん

こんにちは。コメントありがとうございます。

>ももちさん的な「共同体」は上で言うと共同体と交響体のどっちなんだろうかが気になります。

それをメビウスの帯のトポロジーや「種の論理」(若しくはライプニッツ的な個=モナド)で表現しようとしているわけですが、つまりはハイブリッドなんですよね。

つまり交響体の基底に共同体性を考えているわけです。それは時間軸のような縦の関係の存在、生まれてきてしまった宿命のようなものなのですが、そこから如何に自由であるのか、と考えるよりも、その宿命性を受け入れながら、キアスム的に自分の自由を考えて生きたいということですね。