「参院選、政治バブルの終焉」とは、宋文洲はうまいことをいうものだ。若しくは、「ぶれない軸としての大衆」について。

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小泉内閣から始まった政治バブル

近年、日本の政治が非常に軽薄になっているような気がします。衆院選で大勝した結果生まれた「小泉チルドレン」の一群のはしゃぎぶりや元ライブドア社長の堀江貴文被告の立候補からも分かるように、選挙に勝てば誰でもいいようなムードがあります。

普通の人が政治家になることはよいことですが、それは軽薄と意味が違います。政治にまったく関心のなかった堀江被告を自民党の幹事長が「弟です」と連呼して選挙に引っ張り出したのはその象徴的な出来事でした。

堀江被告は落選しましたが、3年連続投票にも行かなかったテレビ局のアナウンサーは当選したのです。政治理念とかではなく、投票しない人があれだけの人に投票させたことはまったく不可解な現象です。

NIKKEI NET IT+PLUSの宗文洲のコラム「参院選、政治バブルの終焉」を読む。この人は、いいところをついているな、と思う。 宗さんは、「政治バブル」は小泉内閣から始まった、という。

ぶれない軸としての大衆

とはいえ、小泉さんを支持したのも国民であるし、今回安倍さんに否をつきつけたのも国民なのである。

私は一貫して小泉的なものを批判しつづけている。それはパトリの護持、そしてその護持を担うものとしての地場の建設業の護持、という思いからだが、パトリの崩壊が自分の痛みにつながっていることを国民が理解したのかどうかは分からない。

ただ宗さんがいうように、政治は国民の生活を守ってナンボなのであり、自分の生活を脅かすものには、国民は無意識的(脊髄反射的)に反応する、と考えている――それを「ぶれない軸としての大衆」と(私は)呼んでいる。

民主党は「政治は生活だ」と、そこをうまく突いた。「参議院選挙の空気―業種別の倒産件数は「談合排除」などの影響を受けた建設業が1405件と最多だった。

それは欲求レベルでの反応であり、「考えない」ことでもあるが、この「考えない」大衆は「考えない」ことで、民主主義の、そして大衆消費社会の、進化的な勝利者なのである――公共事業という産業はぶれない軸としての大衆によって窮地に追い込まれた。ただこのぶれない軸も、「考えない」ことで、大衆迎合的(ポピュリズム的)に、ぶれてしまうこともある。これがバブルだ。

しかし一端自分に危機が迫っていると感じれば、ぶれた分はちゃんと取り戻す(これは「野生」としかいいようがない)。「改革か逆行か、と安倍さんはいったけれども、三歩進んで二歩下がる、とみんな知っているのでございますよ。

今回の参議院選挙は、ぶれない軸としての大衆のぶれからの反発なのだ、というのが私の理解なのだけれども、それは宗さんのいう「政治バブル」への反発ということだろう。

小泉チルドレンの皆様にも、そろそろ覚悟していただく時期になったのだ、と思うのだが、では地方の〈公共事業という産業〉に、それを自らの優位戦略に持ち込むだけの体力は残っているのだろうか、というと、なんだかななのである。w

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ウェザーコック風見鶏(VOICE FROM KOBE) - 参院選、政治バブルの終焉(宋文洲) (2007年8月 7日 08:32)

 宋文洲氏が、久し振りに日経のIT+PLUSの「単刀直入」コーナー参院選、政治バブルの終焉とのタイトルで、コラム記事を投稿している。  宋文洲氏の視点は... 続きを読む

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このページは、momoが2007年8月 1日 16:19に書いたブログ記事です。

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