安倍首相が辞意・自民党幹部に」 NIKKEI.NET

安倍晋三首相は12日、自民党幹部に辞意を伝えた。7月の参院選での惨敗後も「政治とカネ」の問題をめぐる閣僚辞任などが相次ぎ、内閣支持率が回復しない現状を踏まえての判断とみられる。/安倍内閣は同日中にも記者会見で総辞職を正式表明する見通し。自民党内では後任首相・総裁の人選が焦点となる。臨時国会は冒頭から波乱の展開となった。/麻生太郎幹事長は12日昼、記者団に「辞意はずいぶん前から聞いていた。理由については『自分には求心力がない』と聞いている」と語った。首相は大島理森国会対策委員長にも「代表質問に答えられない」との意向を伝えた。(13:00)


宿命

職を賭す」と言ったかと思えば、今頃辞意を表明したりで、参院選で惨敗しても退陣しなかったのは、いったいなんだったのだろうか、とは思うが、今は、お疲れ様でした、としかいえなだろう。急にやる気がなくなる、というのは、私たちにも時々ある。

それは現状(とそれに続く未来)が、まるで必然(宿命)のように感じられる時で、つまり「骰子一擲」、賽の目はいつも同じで、偶有性が利かない、と感じられるときだし、自己責任とか自力を、自らに強調している時に多いように思う。

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ

しかし諦めることで、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」なのだろう。安倍さんは、まだ若い(私よりは年上だけれども)。今回の諦めが、浮かぶ瀬もあれ、になって欲しいな、と思う。

自力

言ってみれば、安倍さんは、小泉さんのつくりだした被害者なのかもしれない。(ネオリベの強調はネオリベのもつ矛盾を浮かび出す。それはなによりも、人間の精神においてではなかろうか)。安倍さんは、小泉自己責任内閣を引き継いでしまったばかりに、自らに自力を強要しすぎたように思う。

他力

しかし本当は、彼は、「他力」の人なのだろうな、と(私は)思う。以下、安倍さんの「美しい国」をしのびながらw、五木寛之の『他力』を引用してみる。

日本人のアイデンティティの崩壊はどこに原因があるのか。

ここで問題になっているのは、物と心をはっきり区別する世界観のことです。物と心をはっきり分ける世界、黒と白をはっきり分ける世界が、いま、"グローバル・スタンダードの近代となっているわけです。私たちはそれを受け入れなければ、国際的な経済の世界で生きていけないところへきているらしい。

しかしアジア全体がそうですが、日本人は縄文以来、森や山に生命を感じる、大きな木にしめ縄を張る。すべてのものに神が宿るという感じ方をします。そういう中で生きてきた私たちが、いま、否応なしに市場原理と自己責任という、二者択一の舞台にはじめて登場するわけです。

自己責任というのは、一神教的な神と人間との契約という精神が根本にあって成り立つものです。市場原理は神の見えざる手に対する揺ぎない確信が背後にある。

さらに困難な問題は、いま世界が近代を超克しようとしていることです。近代が生み出した環境破壊、人間の無視、そういう近代を超えようとする動きが一九六〇年代から続いています。そうなると、私たち日本人は、片方でグローバル・スタンダードという近代の受け入れを強制され、片方で近代を超克しなければならない。

たとえば、弱者と手を携えて共生することは、近代を超えるための大事な考え方です。それなのに、私たちは、弱者は切り捨てるという、遅れた近代をグローバル・スタンダードとして受け入れよと強制されている。

いま私たちは矛盾に引き裂かれて、心がずたずたになっているのではないでしょうか。』(五木寛之:『他力』:p138-139)(http://www.momoti.com/myself/self0301_01.htm)