午前6時50分起床。浅草は晴れ。

証人喚問

守屋武昌前事務次官の衆院テロ防止・イラク支援特別委員会の証人喚問をTVで見た。

ああ、この人は、TV村(テレビ共同体)が待ちに待った人材(キャラクター)だな、と思った。

なかなかの(わかりやすい)悪人顔だと思う。(悪党顔とは違う。悪党はその悪党性を顔に出さない)。

テレビ村での判断基準は、基本的には〈好き/嫌い〉でしかないのである。それも皮膚感覚的に、キャラ的にだ。[福田内閣―わかりません率59%。(「わかりません」という言葉を忘れた国)。]


テレビ村の円環モデル性(井戸端会議モデル)については先に書いた通りだ。

テレビ共同体は嬉しいな

ここのところ、テレビをよく見ている。

それは自宅で仕事をしている時間が長いから、だろうが、しかしなによりも、亀田家の問題や、今回の守屋武昌前事務次官の問題と、私の興味をひく話題が多いからだ。

裏返せば、テレビ共同体(マスコミ)にとって、今は、クリスマスと正月が同時にやってきたような、嬉しい事態なのである。

それはともかくも、テレビと言うのはやはり円環の中心なのだな、と思う。

それは、ばらばらになりそうな私たちをどこかで結び付けている。

今回の証人喚問中継は、自宅にいても、近くに昼飯を食べにいっても、見ることができた。

山口屋のたんめんをすすりながら、このTVを見ている私たちは、どこかでつながっているのだろうな、と思った。

本当はどうでもよい

本当は、亀田家の問題も、守屋武昌前事務次官も、〈私〉にとってはどうでもよい問題なのである。

直接的には私は何の被害も被っていない。(ばかりか、観客的にこうして楽しまさせてさえもらっている)。

もちろん守屋武昌前事務次官のやったことが、〈よいことか/悪いことか〉と訊かれれば、悪いと答える。

しかしそんなことよりも、〈私〉の抱えている現実の方が、本当はずっと大変なはずだ。

しかし能天気に、亀田問題や屋武昌前事務次官の問題を考えている時間は、幸せな時間なのである。

これなんだよな、と(私は)思う。これは人間が避けることのできない、本能的な感覚なのだろうな、と。

この幸せな感覚が円環をつくる。

Web2.0だって、その延長上にあるものでしかないな、と最近はつくづくと思う。

しかしその幸せな円環が不幸もつくる。(まだ私たちはモダンでさえもない、と)。

つまり人間の矛盾というものに引き戻される。w