工作の時間 工作の時間
工作の時間
(写真提供:自ら情報を発信すること from ☆。.:*:・'゜ボンズ2号☆。:*思いを言葉に:*:。☆。


工作の時間

24日のWeb2.0的勉強会では久しぶりに「工作の時間」をやってみた。それは建設業(公共工事という産業)が「おぼんのような世界」、「なんだかわからないもの」にならないためには、自ら情報を発信するしかないことの必要性の理解と、情報を発信するにしても、その方法によっては質的な違いが生じることの理解の為にだ。

円環モデル

円環モデルまずは円環をつくってみる。それはただの丸い輪っかでしかないのだが、これが「おぼんのような世界」、「なんだかわからないもの」なのであって、つまりは「円環モデル」である。

このモデルは〈内/外〉の明確な差異をつくってしまう。内は外との接続(コミュニケーション)を遮断していることで、 「おぼんのような世界」なのであり、外から見れば「なんだかわからないもの」なのである。

それはコミュニケーションでいえば内緒話か井戸端会議でしかなく、返される仲間内での会話でしかない。それは時としてヒミツである。

もちろんこれをコミュニケーションと称してWebで展開することは可能だけれど(どころか全盛である)、しかしその閉塞性、ムラ社会性ゆえに「なんだかわからないもの」になってしまっているのはたしかなわけで、(ビジネスモデルとしては)今の時代にはたいした意味はない。

つまり「なんだかわからないもの」でしかない建設業という共同体にとって、円環の中で繰り返す会話だけでは、もはや「」も「われわれ」も救えないのである。

メビウスの帯=自らのひねり=自ら情報を発信すること。

メビウスの帯では閉塞せずに共同体性を保つことを考えてみる。それはWeb2.0的に言えば自ら円環を「ひねる」こと、つまりは自ら円環の外へ情報を発信していることでしかない。それを「工作の時間」ではメビウスの帯で表現している。

このモデルは「円環モデル」にひねりを一回加えることで、裏でもなく表でもなく、外でもなく内でもない世界をつくりだしている。

〈外/内〉は差異としては「ある」けれど、もはや対立することなく共存している。つまり共同体(協会・会社・地域社会)と共同体を取り巻く世界とが共存可能なモデルとなる。(モデルとしてはだが)。

情報発信の仕方

けれど「工作の時間」のお楽しみはここからで、このメビウスの帯をハサミでチョキチョキするのだ。それは3分の1切断2分の1切断で、この二つの切断の仕方は、自ら円環の外へ情報発信することの質的な違いを表現していると思って貰えばよろしいのである。

メビウスの帯の切断

その結果はこうなる、といちいち書くと長いし、それは過去にさんざん書いているので、以下のエントリーを読んでいただければ幸甚なのでありました。(下のテクストはあたしが2年程前に書いて昨年手を入れたものだけれど、今読めば、自分で読んでも読みにくいという悲惨さなものであることをお知りおきください)。 

それであたしは、1/3切断モデルをあんまし好まない。かなり乳臭いとさえ言っている(想像界的)。「円環モデル」は乳臭いどころか乳の中で溺れている。なので1/2的に書きましょう、と。それはイントラネットがあるのなら、現場状況報告をしっかり続けることで身につく「存在するための習慣」である。→技術者の為の頭のよくなるIT化研修―現場状況報告。(岩見沢建設協会) from モモログ

ネガティブ情報を発信しないこと。

そして蛇足的にもうひとつ。「情報は発信する者に集まる」のは当然なのだが、ネガティブ情報を発信する者にはネガティブな情報しか集まらないのも当然のことでしかない。書くならポジティブな態度で書きましょう、明るい話題を、元気の出る話題を(意識的に)書きましょう、と。

それを「善の循環」と言うつもりはないけれども、人間のやることである。ブログによる情報発信にもそういうモノは確実に働いているのはたしかだ、とWebに10年書き続けてきたあたしは思うのだわ。