SO905iCS
午前7時50分起床。浅草は晴れ。ケータイの機種変をした。唐突にFOMA SH903i から FOMA SO905iCS へである。先日、息子にケータイを買ってやったら自分も新しいのがほしくなったのだ。
普段、ケータイをカメラとしてしか使わないあたしは、カメラ優先で機種を選んでしまうのは当然のことなのだが、その選び方はひどいもので、つまりこの「商品」の選択理由は、「Cyber-shotケータイ」というシニフィアンだけなのである。
つまりあたしの脳みそは、この名指しを見た途端に、
(Cyber-shot=カメラ)+ケータイ=「Cyber-shotケータイ」
が成立してしまっていて、それはハイブリッド大好きなあたしの心的システムを、(テクストとして)鷲掴みにしてしまった(この時点で「商品」の性能とか仕様なんてどうでもよくなっている)。
キーが小さかろうが、ジョグダイヤルが使いにくかろうが、多少分厚くて重かろうが、それはこの「商品」を排除する理由にはならないのである。
惚れた欲目には
「商品」としてのケータイ
そのであたしはこの「商品」を購入したのだが、購入したとはいっても、(なんだか知らないが、その時は)一銭もおカネを支払わずに済んでしまう。
その上、店員さんの親切なアドバイスに素直に従っていけば、(機種買い取りであった)今までよりも月々の支払い額は少なくなってしまった。まるで手品か、デフレかだなと思う。しかし安いことに文句をいう客はいないのである。
そして、こんなにいい加減な商品選択をしようとも、じっくり検討し、あれこれ迷って「商品」を選んでも、GDPへの寄与は同じなのだなと思いを馳せる。おカネは確実に、でも目に見えないところで動いてはいるのだ。
GDPに寄与する
GDP等というマクロ的指標は、「商品」を選択する個々人の心的システム(ミクロ)なんて関係ない数値なのである。けれどもそのミクロ的なものの積み上げがGDPでしかなく、関係なくもないのである。おい、言ってることがなんだかヘンだぞ、といわれても、それはあたしが決めたことじゃないから、そんなものだと思って貰うしかない。
GDPに必要なのは、あたしらの空虚な心を、マッチ売りの少女の、小さなマッチの炎のように(瞬間だけでも)埋め合わせてくれる、欲望の対象としての「商品」と、それを購入できるだけのおカネ(可処分所得=メタ欲望※1)でしかない。これさえあれば世の中は、「商品」だらけの資本主義で動いていける。
そして今、日本の商品供給能力は余っている。労働力も、生産設備も余っている。足りないのは、その「商品」を買うだけの可処分所得(メタ「欲望」)なのだ。だから景気対策は、なにをどうやろうとも「ばらまき」になる。※2
景気対策が補うべきは、なによりも「みんな」の生活の、基底としての衣食住の欠如の埋め合わせであることは、社会正義的に当然のことである。
けれどもケータイは、衣食住にかかわる欠如を埋め合わせる「商品」ではないく、つまりケータイがなくとも、あたしらは生活に困ることはない。だからケータイは贅沢品なのかもしれない。
コミュニーションという必需品
しかしケータイは今や必需品化している。それは衣食住と同じようにであって、身体の一部化している機械のような「みんな」も多い。ではケータイは、あたしらのどんな欠如を埋め合わせしようとしているのだろうか。
それは、つながること、つまりコミュニケーション欲望とでも呼べるものだろう。しかしあたしはケータイを電話としてもメールの機器としてもあんまり使わない。もっぱらカメラとして使うのである。
しかしそれでさえ、あたしのコミュニケーション欲望の穴埋めであるには違いはなく、あたしが撮影した、デジタル化された写真はあたしのテクストなのである(だからブログにその画像を使うのだ――テクストとして)。
つまり、今あたしらの生活の基底にあるのは、衣食住+接続(コミュニケーション)なのだろうと思う。それが今の時代には、最低限人間らしい生活の、構成要素となっているのじゃないだろうか。
まあそれはともかくも、あたしは嬉々としてこのケータイを持ち帰り、早速さわりまくってみたのだが、スライド式とでもいうこのケータイは、年寄り的には非常に使い勝手がよくないという現実にあたしの心の空虚さは更に巨大化するのでありました。w