「麻生離れ」無党派も、不支持86%に拡大 日経世論調査

年頭会見で、自ら書いた色紙を報道陣に披露する麻生太郎首相。日本経済新聞社の世論調査で、内閣支持率は20%割れ寸前に落ち込んだ。景気・雇用対策を巡るちぐはぐな対応や、消費税率引き上げに関する混乱により、麻生太郎首相の「指導力」や「政策」への不満が高まっている。無党派層の支持率も急速に悪化し「麻生離れ」が鮮明になっている。早期の衆院解散・総選挙を求める声が強いが、首相の目の前のハードルは高い。

内閣支持率は自民支持層でも支持が50%、不支持が44%で接近してきた。11月末の前回調査では支持が60%、不支持が36%だった。無党派層では支持が前回の9%から5%に低下し、不支持は77%から86%に上昇した。党内基盤の強くない首相にとって「選挙の顔」としての魅力がなくなれば、ますます求心力の低下を招く悪循環が予想される。(NIKKEI NET 29日 07:00)


午前8時30分起床。浅草は晴れ。多くの会社は今日から仕事始めか。あたしは年末年始と技術的な仕事があって、仕事的に年の切替がなかった。なのでわざと初詣の数を増やし暦を身体的に感じるようにしてみたので、例年に比べ初詣の社寺廻りが多くなった(まだ「浅草名所七福神もうで」は完遂できていないけれど)。

そこでお願いするのはいつもと同じで、「家内安全、商売繁盛、世界が平和でありますように」だ。この歳になると「立身出世」という情念は消えてしまっているわけで、その家内安全も商売繁盛も、あたしの個人的なものではなく、「われわれ」のものでしかなくなっている。2009年が、地方や地方の建設業にとって、少しでもいい年であることお願いした。あたしは「われわれ」がなければ「」がないことは十分承知しているし、あたしにとっての「われわれ」は、まずなによりも地方の建設業のことである。

あたしたちの生活は、多かれ少なかれ経済と無関係にはできていない。麻生さんが「安心活力」と書こうが、小沢さんが髪型を変えようが、渡辺さんが離党しようが、経済学者が何を言おうが、バブルがはじけた経済は勝手に冷え込んでいくことになっている。というか市場は不完全だからこそ、増殖の自動運動などはしない。だからといって完全市場を求めた新自由主義ネオリベが、結局はこの惨状つくりだしてしまったのは、新自由主義者が云っている完全市場はじつは完全市場ではないからだろうが、それは人間の考える「純粋」とか「完全」とか「自然」の限界のようなものだろう。

つまり経済は純粋な合理性を求めるけれど、人間には合理性も不合理性もある。だからこそ「片手に論語、片手に算盤}(@渋沢栄一)なんだろう。「論語」とは人間の不合理性の引受先である。あたしは「論語」を持ち出す素養もないので、その不合理性の引受先は社会(町内会=「街的」)の厚みでしかないと云っている。しかし社会に経済原理を持ち込む心象を(あたしたちは)もってしまったことで※1、地方は「帰る処」ではなくなってしまっているし、地方も「帰る処」という機能を失なっていることで疲弊のスパイラルから抜け出せない。地方の疲弊は今、都市部に表出している。※2

経済の不完全さ(人間の非合理性)に個人で抗することができるのは一部の鼻の利く人なのであって、殆どの人達は大きな流れに流される。「」も「われわれ」も大きな流れに流されている。あたしの戦略(生き方)は、「とりあえずは大きな流れの中で流れて、それ以上のスピードで流れることで独自性を保つ」(@川俣正)でしかない。けれど、それを可能にしているのも結局は「われわれ」でしかなく、社会の厚み(贈与共同体)が失われた今、その「われわれ」が行き着く先は政治である。

それはヘタレな心象かもしれないけれど、しかし政治が「われわれ」という紐帯の感覚を保っていれば幸いなのである。政治が「われわれ」的心象から離れることで、時の政権の支持率は下がる。つまり「われわれ」ではないものが「われわれ」のスピードを減速しているという感覚が麻生さんにはつきまとう。「われわれ」のスピードとは「統治の唯一の正しい、、、、そして正当視することのできる目的は、最大多数の最大幸福である」(@ジェレミ・ベンサム)でしかないのだが。

※注記

  1. 消費主体であるということ→純粋消費、もしくは「一生遊んで暮らしたい」 参照
  2. 年越し派遣村