午前6時起床。浅草は晴れ。昨夕は久しぶりにT君がやってきた。
居酒屋浩司の前で待ち合わせしたけれど、月曜日だもの浩司は休みである。
なにか見せたいものがあるというので、テーブルの使える水口食堂で呑みながら話すことにした。
菜の花のおひたしとマグロの刺身それに「いり豚」を頼む。
午後5時を少し回った水口食堂は、何処かの出番を終えた芸人さんが数組。呑むともなく食うともなく芸について語っている。芸人は勉強する。それはこの街の空気であるが、芸人は時間をかけて育つものだという定理の表出である。
それに引き替えT君があたしに見せたレジュメには……「超個人主義帝国主義」。
言語矛盾じゃないか。
あかんではないか。※1
三十七歳。男。彼の創造性はスーパーフラットである。
スーパーフラットな創造性で身をたてることができるのは天才だけである。
天才には時間軸はない。
凡人が時間軸を否定するとき、そのとるべき道は博奕しかなくなる。ギャンブラーである。博奕打ちである。
贈与が壊れると世の中博奕打ちばかりになる。それは、競馬やパチンコをやっちゃいけませんよ、という意味ではなく、人生そのものが博奕となるというこだ。丁か半。四六時中の骰子一擲である。
時間をかけた努力などいらない。だから贈与の壊れた世の中は、少数の勝ち組と膨大な負け組になる。
あーゆとり教育は失敗したなと。あたしはヘンリー・ダーガーの「Vivian Giels!―非現実の王国」※1のはなしをし、「いり豚」を食べながら緑茶ハイを呑むのである。
当店自慢の1 品 !「いり豚」
玉ねぎと豚肉をオリジナルソースで炒めたものです。
580円 (壁に貼られたピラより)
「いり豚」は、とんてきから豚肉を引き算して、タマネギを足し算したら、こうなるに違いなく、しかしそれは「非現実の王国」のものではなく、苦悩する芸人が己の将来を悲観しながら食い、競馬でスッたおやじが泣きながら食う。そして根拠もなく元気な自営業者の食う、生活者の「かなしい」※3酒肴である。[浅草グルメマップ] [浅草でランチ]
水口食堂 [ その他 ] - Yahoo!グルメ |
※注記
- 『告白』 町田康を読む―あかんではないか。 参照
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ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で
2000年5月25日
ジョン・M. マグレガー (著)
John M. MacGregor (原著)
小出 由紀子 (翻訳)
6825円(税込) - かなしいというのは、痛いとか苦しいとかそういうものでなく、それは「誰かと別れること」や「何かをあきらめること」の必然的で根源的なかなしさです。そのかなしさが、わたしら街的人間をタフにするのでしょう。 「都会」に住むのと「街」に住むのとは違う。そこを分からんとなぁ。 from 140B劇場-浅草・岸和田往復書簡