大堀相馬焼き/iguデザイン大堀相馬焼き/iguデザイン


大堀相馬焼き/iguデザイン

午前3時50分起床。浅草は雨。伝耕さんから大堀相馬焼きをいただいたのだ。デザインは馴染みのあるiguさんのものを選んだ。

相馬焼は郡山に住んでいる頃に持っていたが(たぶん)、今回のiguさんデザインの白を基調としたものは初めてだ。久々の相馬焼である。早速使ってみようと思う。速く茶渋が馴染むようにしたいのだ。

大堀相馬焼き/iguデザイン(裏)

江戸時代の元禄年から約300年続く大堀相馬焼は福島県双葉郡浪江町大字大堀一円で生産される焼物の総称です。 旧藩政時代には相馬焼と呼んでいましたが、国の伝統的工芸品指定以後は、産地名である「大堀」の名を入れた大堀相馬焼として広く知られています。 元禄年間に中村藩士の半谷休閑が大堀(浪江町大堀)で陶器を発見し、下男の左馬に命じて日用雑器を焼き始めたのがはじまり。 中村藩は相馬野馬追の伝統を有するため、藩主相馬氏の家紋から繋ぎ駒や走り駒が意匠となっており、縁起物として親しまれてきました。 中村城下の相馬駒焼は藩主相馬氏への献上品として親しまれたのに対して、この大堀相馬焼は民窯として長く親しまれてきました。 相馬藩では、これを藩の特産物にしようと産地に瀬戸役所を設置して、資金の援助や原材料の確保など保護育成に努めました。これにより大堀の窯業は農家の副業として近隣八ヶ村に普及 江戸時代末期には窯元も100戸を越え、販路も北海道から関東一円、更には信州越後地方方面まで広がり、一大産地へと発展を遂げました。 その後、明治期から廃藩置県により藩の援助がなくなったことに加え、交通の発達による他産地との競争激化、さらには戦争による大きな打撃と、太平洋戦争の終結時まで大堀相馬焼は冬の時代を迎えました。 しかし戦後、アメリカへの輸出で産地は協力に立ち上がりました。2011年、東日本大震災により窯元全てが強制退去を余儀なくされます。 しかし「デザイン」と「グローバル」を軸にした大堀相馬焼は再び大きく立ち上がろうとしています。
http://www.kachi-uma.jp/ より。