濃い味、うす味、街のあじ。濃い味、うす味、街のあじ。


濃い味、うす味、街のあじ。

午前6時5分起床。浅草はくもり。大阪の140Bより「濃い味、うす味、街のあじ。」が届いた。江 弘毅(箸)と奈路 道程(画)の毎日新聞の連載の書籍化で、何と云っても奈路画伯の絵が素晴らしい。

本の添え物程度に描かれる絵が多い中、この絵は各店舗のお勧め(メニューとは限らない)と、店舗の様子が描かれている。その素晴らしさは、けっして主役にはならず、かと云ってなくなってはさみしいのだ。「なくなってはさみい」、こんな事を云わせる挿絵は滅多にない。

そんな挿絵に守られるように、江 弘毅のテクストはいつもの具合だ。つまり8割程度の力の入れようで書くのである。江 弘毅はあたしと同じ歳だが、書くテクストは(あたしとは)格が違う。勿論、江 弘毅の方が遙かに上だ。

江が喜ぶのかどうかは知らないけれど、こういう「反食べログ、非ミシュラン的なテクスト」を書かせたら彼の右に出るものはいないだろう。つまり日本一の書き手だ、ということだ。

しかし「反食べログ、非ミシュラン的なテクスト」と一口で云うのも変なのである。このテクストを、そんな簡単な言葉では言い表せるわけはなく、云ってみれば、江 弘毅の歩んできた人生が書かせたもなのだ。

だからこのテクストは江 弘毅だけにしか書けない。そして、このテクストに賛同するのもまた少ないかもしれない。

しかし、江 弘毅の書くテクストがこうして一般に売られて読者を得ようとしているダイナミズムの最中にいる。ということは、江 弘毅の生き方に多かれ少なかれ賛同する人達がいるということだ。

それは江 弘毅がしっかりした自分の「街」を持っているからだろう。しっかりした「街」を根にもつ人はぶれないのだ。それは傍目で見れば鬱陶しくもあり、羨ましくもある。そんな江 弘毅が書いた本だ。きっとあたしのサイトを見てくれる人達なら気に云ってくれるはずなのである(笑)。