シン・ゴジラシン・ゴジラ


シン・ゴジラ

午前6時15分起床。浅草はくもり。『シン・ゴジラ』をみてきた。大ヒットしている、と聴いてはいたが、映画館は観客で満杯だった。あたしはなんの予備知識も持たず、たぶんゴジラのプロレスだろう的にみに行ったのだ。

そしたらこれが大違いだった。ゴジラは3・11、福島第一原発事故のアナロジーじゃないか。ゴジラが最初に上陸してきた際、川を遡るシーンがあるが、あれは誰が見てもゴジラの川上りではなく津波である。

津波から逃げ惑う住民がリアルに描かれているが、それをみてあたしは3・11のことを思い出した。その後はもう3・11がずっと頭を支配してしてしまう。その上成長したゴジラは放射能をまき散らす。そうゴジラそのものが原発なのだ。

その原発(ゴジラ)は凄まじい破壊力を見せてくれる。この映画のストリーは簡単である。ゴジラが東京湾に出現し上陸する。自衛隊が内閣のごたごたのもめげずの出動するが歯がたたない。

頭のいい人達がゴジラを倒す方法を考案する中、アメリカが核兵器で攻撃したいと言ってくる。核攻撃までのタイムリミットが迫る。シン・ゴジラはそんななか、冷凍プランによって丸の内でゴジラの活動を停止させることに成功する。しかし、こんな重いものを着せられたゴジラの先が思いやられるのだ。

でも、もう一度みたいか、と云われれば、あたしは「みたくない」、と答える。『シン・ゴジラ』は虚構なのだ。虚構を幾らみようとも、現実(福島第一原発事故)は変わらないのである。