かれいの煮付けかれいの煮付け


かれいの煮付けで晩ご飯を食べる

午前3時10分起床。浅草はくもり。上野松坂屋「魚味撰」で「かれいの煮付け」を買ってきた。勿論、夕餉の「おかず」にしようというのである。予定通り米を炊き、味噌汁もつくる。それは出来合いの「おかず」であり、手抜きとも云えるが、しかし、この「かれいの煮付け」は、だれがなんと云おうが「菜」なのである。

つまり「和食」の「一汁一菜」だ。

「ご飯」と「味噌汁」と「かれいの煮付け」の3つで構成されている。シンプル、まさにその通り。 平成25年に「和食」が世界無形文化遺産に登録されたが、それは「和食」はほぼ絶滅危惧種の仲間入りだ、と云うことだ。若い頃は、無くてもなんの不思議も感じなかった「一汁一菜」が、今は妙に懐かしい。

しかし、この「和食」の「一汁一菜」が実は難しい。

あたしも毎朝パンとサラダを食べ、昼はほぼ外食である。そして、夜は何時の間にかに「菜」が多くなっている。若い頃はもっと多かった。だから糖尿病患者なのだが、わざわざ「和食」の「一汁一菜」と指定しないと、「一汁一菜」にはならない現実だけがある。

この日は、しっぱの方と身の方の両方を買って、あたしはしっぱの方を貰う。「かれい」の身は柔らかいものだが、このしっぽの方は身が締まっていて食べやすい。素晴らしい、と甘辛い身を讃えた。しかし、試しに家人の身の方をもらって食べてみた。それはそれは柔らかなものだった。

食べると、後味だけを舌に残してふっと消えたのだ。

うまい、それは甘いと同義だけれど、甘いを越えているものに出会った気がした。

魚は不思議な食材であることに今頃気付いている。若い頃は如何しても肉を食べたかったが、それが今は魚なのである。まったく人の好みというものの変わりようは、何時も好い加減なものだと思うのだ(勿論、肉も食べたいけれども)。

かれいの煮付け

上野松坂屋 魚味撰
東京都台東区上野3丁目29-5