権威の崩壊

私たちは、既存の権威がすでに機能しなくなりつつあることを知っています。アカウンタビリティパブリック・インボルブメント(PI:政策形成の段階で人々の意見を吸い上げようとするために、人々に意思表明の場を提供する試み)が、昨今の公共工事でいわれている背景には、市民社会という公共工事に対する「消費のミーム」の主の台頭と同時に、「既存の権威」の崩壊という問題があります。それは「ヒエラルキー・ソリューション」の崩壊のはじまり、といってもいいでしょう。


「今という時代」は、学歴や、職業や、資格や、たとえば中小建設業の場合、経審や建設業許可やISO云々(つまり「技術のミーム」であり「能力」の信頼を担保するもの)、そういうもので自らが「品質保証済みの人材」であることをプリンシパル(市民社会)に対して証明することが限界に達している時代なのです。それはなによりもメタ情報としての「信頼」、「ソーシャル・キャピタル」が形成されていないからです。

「ソーシャル・キャピタル」をアローの言葉を借りて表現すれば、《それらは目に見えない制度であって、実は、倫理や道徳の原則である》となるのですが、既存の権威の崩壊という現実こそが、倫理や道徳の原則としての「ソーシャル・キャピタル」が、今後の公共事業にとっても、ますます重要となることを意味しています。

「公共工事パッシング」と呼ばれる社会的な心象は「消費のミーム」です。それは「ソーシャル・キャピタル」の欠如の文脈で形成され、主流のミームとなってきたものですが、つまり「公共工事という産業」が、市民社会との「ソーシャル・キャピタル」の蓄積を怠ってきたツケが、「公共工事ダメダメミーム」の重低音には流れているのです。それは、エージェント(ここでは発注者だけではなく「公共工事という産業」の構成員、つまり、発注者、政治、建設業界)が自ら生み出したものでしかありません。

つまり、ここでも「相互作用」は機能しています。「公共工事ダメダメミーム」は、消費者がかってに作り出したものではなく、消費、技術双方のミームが相互作用的につくり出してきたのです。ですから「公共工事という産業」が、旧来からの「技術のミーム」や「安心の担保」にこだわればこだわるほど、「公共工事ダメダメミーム」という「消費のミーム」は相互作用的にその勢力を大きくするだけなのです。