午前6時20分起床。浅草は午前中雨が降っていたけれど、午後からはくもり。物凄い湿気が充満している。
今日は遅めの店主戯言の更新となってしまった。それは昨日に(カテゴリーでいえば)「おいしいもの」と「Movable Type」で書くことしかしていなかったからで、日記――私の場合それは「店主戯言」のことで、つまり起床時刻と天候が記載されているものであるが――ネタがなかったので、無理して書かなかったからだ。そんな中、「中沢新一の『三位一体モデル』を読んで感じたこと。」に対してコメントをいただいた。これは渡りに船であった。
私は、、「中沢新一の『三位一体モデル』を読んで感じたこと。」で、中沢新一氏の「三位一体モデル」はどう考えても左の図のように、左に90度傾いているとしか思えないと書いた。
それは余計なお世話でしかないだろうが、そんな私と同じような感想を持たれた方から、コメントをいただけたことで、私はちょとばかり安堵した――私がなにか大きな勘違いをしているにしてもね――。
中沢新一氏は(というか糸井茂里は)これを、ヘーゲル弁証法のように使いたいのだろうと思う。
つまりそれは「正-反-合のモデル」であるけれども、じつはこれは便利すぎていけない。(笑)
私もある時期、「考える技術」のひとつとして「弁証法」を表面にだしたときがあったけれども――田坂広志氏の『使える弁証法』がでたころだね――、最近はあんまり「弁証法」は使わない。
なんにでも使える(というか、あてはまる)ということは、たしかに普遍的論理なのかもしれないけれど、そんなものは疑ってかかった方が面白いにきまっているからだし、所詮輪の中になにかがあてはまったとしても、それは既存のものでしかない。
私はむしろ、この三つの輪が壊れかけたとき(若しくは新しく出来始めたとき)に生まれる、躍動というか価値の生成に興味がある。その方がずっと面白いからだ。つまりそれは輪の中身だけを知ったところで理解できるはずもなく、つまりは輪の重なりをみることなのだと(私は)思う。
中沢新一(著)
2007年1月1日
東京糸井重里事務所
1200円+税
こちらこそ「三位一体モデル」における具体的な問題を示して下さり、目からウロコです。確かに90°ずれてるし、それは本質的な違いだと思います。
また本の作りが雑というのは、内容ではなくプロモーションの方法に問題があるということなのでしょうか?
この本では、物事を3つのどれにあてはめるかが重視されているように感じるのですが、各々の重なる部分に何が生成してくるのかというような、言語モデルにあてはめられない流動的なことこそが大事だと、中沢氏はいろいろな方法で語ってきたのではないかと、また解らなくなりました。
>やまさん
コメントありがとうございます。
>また本の作りが雑というのは、内容ではなくプロモーションの方法に問題があるということなのでしょうか?
内容もプロモーションもでしょうね。
私は糸井氏の仕事はそんなに嫌いじゃなかったのですが、今回のでかなり嫌いになりました。(笑)
世代で云えば、三世代ぐらいずれているように思えます。80年代の手法をずれ(しゃれ)じゃなく、まじ(ビジネス)でやってしまったのではないかと。(笑)
たぶん中沢氏本人にぶれはないと思いますので、心配はいらないと思いますよ。