桃知商店よりのお知らせ

「税金の無駄遣いをやめて、公共工事を増やそう!」―地方とそこを住処にする建設業の「うつ」状態、若しくは単なるあたしの愚痴。

うつ病と中小建設業

鬱病というのは面倒なものだ。あたしは10年程前に「うつ」になりかかったことがあるが、その原因は「」の社会秩序の崩壊であった。八方塞がり、抜け道のない感覚、そこにいる自分というモノからの離脱願望。

[混迷する社会で急増するうつ病 無理をせず、自負心を捨てて開き直ることも必要 - 特集 - nikkei BPnet]を読んだ。防衛医大の野村総一郎さんのお話しである。

これは「地方の建設業はうつ病のようなものだ」と言っては※1、ひんしゅくを買っているあたしには、興味深いなんていうものではなく、そのとおり、と云わざるを得ないところがある。なので長いテクストを「フレーズ」に引用してしまった。


アノミー

地方や地方の建設業の疲弊、「うつ」状態は、云ってみればアノミーであって、それは「」や「われわれ」が依って立つ地面(つまりパトリ)の底が突然抜けてしまったような虚無感だ。

鬱病が《先行き不透明な現代の影の部分を映し出した病》であるならば(あたしはそう思うが)、それは野村先生が云われるように、

世の中の全体が「大きな物語」を失った世界になったと言われますよね。その中で日本という国は、特に衰えがひどいと言わざるを得ない。高度経済成長期にあだ花のように咲いた希望ある世界が、バブル経済の崩壊でなくなり、その代わりに与えられる価値観がないんです。

ということが要因で、地方(とそこに暮らす建設業)は(精神的に)疲弊するだろう、とあたしは考えてきた。それは経済的に疲弊することと表裏だし、密接に関係しあっている。

あたしの今までのアプローチは精神分析よりであった。その理由はシンプルなもので、公共工事は増えることはないからでしかなく、つまり経済的には無策が続くことで、地方の建設業界は精神的に追い詰められてしまうだろう、ということだ。

モダンとポストモダンの世界観
東浩紀:『網状言論F改』:p27 

大きな物語の崩壊

しかしその壁は意外とはやく訪れる。それは思考停止である。人間なんていうものは、「うんと固くしばってくれると、かえって有難いのだ」(@太宰治)なのであって、あたしらはまだモダンであったこともなく、ましてやポストモダンなんていうべらぼうに精神が追いつくわけもない。

「大きな物語」(象徴界)が機能しないのであれば、物語は自分で書くしかないのだが(つまりPCM=「考える技術」)、そんな(本来日本人の得意とする)創造機能も、面倒臭いものだと手放してしまった思考停止の脳みそには、

今の経済成果主義だったり、まったく文化を異にするアメリカの価値観を単純に持ってきてしまう

という「正解の思い込み」に頼ることが精一杯なのである。

しかしそれは自分で書いた物語であるわけもなく(自分で書ければ偏執症ぐらいにはなれる)所詮余所事なのである。そんな余所事でしかない(大きな物語の)機能代替えに、ことごとく裏切られるのも当然で、それでも(裏切られる都度に)「自助努力」だの「がんばれ」としか言わない政権を選ぶのだもの、「うつ」は悪化するに決まっていたわけだ。

これも日本の劣化だと思いますね。今の政治状況を見ても、政治家は非常にプアになってきた。指導原理がなく、頼りない。

処方箋は地方での公共事業を急激に減らさないこと
そして時間をかけて自分で物語りを書けるようにすること

そんな状況で、あたしが地方や地方の中小建設業の「うつ」を語るとき、その治療薬(というか予防薬)は、(結局)「地方での公共事業を急激に減らさないこと、そして時間をかけて自分で物語りを書けるようにすること、でしかなかった。

つまりそれが桃論であり「考える技術」なのだが、その手の意見はまったく無視され、あたしと同じようなことを言った方々は、ほぼ日本国民の敵扱いとなった(中には別の理由で手鏡を没収された方もいた)。だからと言ってそれ以外の処方箋を考えても、

うつ病になりたての一番症状が激しい時には、間違いなく休息がすべてのタイプで必要です。だけど慢性的になると、例えば2年も3年もほとんど動けないという人には休息が大事だといっても、それはむしろ逆かもしれませんね。

そうなるとリハビリテーションが必要になります。じゃあ、どうすればいいのかという方法論がまだ確立していません。最近、急速に研究が進められるようになってきましたが、ちょっと付け焼刃で、まだいろいろな試みがなされている状況です。

という「うつ病」のリハビリ同様、方法論なんて確立されていないわけで、状況はますます悪化し続けてきた。あたしは相も変わらず『「わからない」という方法』(@橋本治)を駆使するしかなかったのだが、言っていることはますますわかりにくい、と批判を受けた。

「動き出せ!えぶりばでぃ!」には自分で物語が書く必要がある

しかし、地方も地方の建設業も、動かないことで症状がますます悪化するのは「うつ」の長期化と同じである。(東国原知事があの程度で賞賛されるのは逆説的に他が動いていないからだろう)。

動き出せ!えぶりばでぃ!」という「桃組」の基本行動指針は今でも健在だけれども、動かないから、ますます動けなくなっているだ。それは自分で物語を書けないから動けないのである。つまり思考が足りないのである。

だからあたしはこの人が好きだ、と言うのであって、動き出せるのも才能のひとつだし、なによりも、動き出せるのは、自分で物語が書けているからで、つまり思考は停止していない。

蛇足的に書けば、(うつにもならず)あたしがこうして楽観的に生きていられるのも、それはPCM(考える技術)的に、まだ思考が停止していないからだと思うのだが、その思考の対象としてきた、地方とそこを住処にする建設業の「うつ」状態は、やっぱり「いくら何でも急ぎすぎだよな」と言わざるをえないのだわ。

税金の無駄遣いをやめて、公共工事を増やそう!」は如何に成立可能なのか。

注記

※1 例えば[欝の時代に治療薬として公共事業が使えないのはなぜだろうか―南九州三県合同建設業IT化研修会から。 from モモログ]

Comments [2]

No.1

お疲れ様です。

先日は浅草町内を案内していただきありがとうございました。
それにしても師匠の酒の強さには驚きです。
また一緒に飲みたいです。

最近の自分は、思考がおろそかになっていると思います。
動き出せ!えぶりばでぃ!の精神で考えて、まず、やってみます。
では、失礼致します。

No.2

>ぼんず2号さん

奈井江町で飲ましてください。(笑)

砂子組のみなさんはよく動かれていると思いますよ。
動かないでいると苔が生えますからね、これからも動き続けてくださいな。

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