ポール・クルーグマン【ロンドン=尾形聡彦】「今回の金融危機は、(1930年代の)世界恐慌に似ている」--。ノーベル経済学賞の授賞が決まった米プリンストン大学のポール・クルーグマン教授は13日、スウェーデン王立科学アカデミーでの電話会見で、金融不安の進展に警戒感をあらわにした。

授賞が発表されたのはスウェーデン時間で13日午後1時(日本時間13日午後8時)。クルーグマン氏は直後にスウェーデンの会場とつないだ電話で、記者会見に応じた。

クルーグマン氏は「危機は世界規模で広がっている」と指摘。「自分が生きている間に、世界恐慌に類似するような事態に直面するとは思ってもみなかった」と話した。

クルーグマン氏は米ニューヨーク・タイムズ紙のコラムなどで、ブッシュ政権批判を続けてきた。富裕層の税金軽減や、社会保障プログラムの削減が指向されており、共和党政権は不平等を拡大しているとの主張だ。そのコラムで最近は金融危機について毎回のように取り上げている。

ポールソン米財務長官が、不良資産買い上げを柱とする金融救済法案を打ち出した際にも、クルーグマン氏は「必要なのは、金融機関への資本注入だ」として政権の対応をいち早く批判していた。

英国が資本注入に踏み切ったことなどで、米国も資本注入へと方針を転換したことから、クルーグマン氏は会見で、「ようやく政策が、道理にかなったものになり始めた」と評価した。今後の経済の見通しについては「国家の破綻(は・たん)は回避できるのではないか」としたものの、「不況は長期にわたる」と指摘した。

授賞発表は、米国東部時間で13日午前7時。クルーグマン氏は知らせを聞き、「すぐシャワーを浴びた。記者会見に備えないといけないと思ったから。まだ朝のコーヒーも飲めていないよ」と話し、会場の笑いを誘っていた。from asahi.com(朝日新聞社):「金融危機、世界恐慌に類似」ノーベル賞クルーグマン氏 - ビジネス


ノーベル経済学賞に
ポール・クルーグマン

午前4時起床。浅草はくもり。目覚めればクルーグマン先生のノーベル経済学賞受賞のニュースであって、ノーベル賞に一番近い経済学者、とずっと前から言われ続けてきたポール・クルーグマンが、ようやくその場所にたどり着いたことは、あたしにとっては悪い知らせではない。

ノーベル経済学賞に関して言えば、その時代のトレンド(空気)を反映しているようにあたしは思うわけで、つまり、今米国で起きている金融危機がなければ、クルーグマンの今年の受賞はなかったかもしれないな、と。経済学賞だけは、ノーベル賞とはいうけれど、他の賞とは全く関係がないわけで、スウェーデンの銀行エリートの管理下にあったりするわけで……。

トレンドとしてのノーベル経済学賞

振り返れば、ケインズ主義的な福祉国家は1970年代に行き詰まり、それに代わって主流の位置を占めた、ハイエク流の自由主義を標榜する「強い米国」主導の経済も崩壊に差し掛かっている(ハイエクは1974年にノーベル賞を受賞している)。

今、世界経済はアノミーのようなもので、「」や「われわれ」が依って立つ地面(パトリ)の底が突然抜けてしまったような虚無感に覆われた混沌とした状態にある。つまり頼るべきモノがないのである。

そのときに、クルーグマンであることの意味は大きいと(あたしは)思う(経済的な思想トレンドの潮目だろう)。クルーグマンはマスコミへの露出度も高いリベラルな論客だ。そのことで多くのリバタリアンは(今回のノーベル経済学賞がクルーグマンであることに)落胆していることだろうが、経済はある思想(ミーム)に基づいて動いていて、その思想にはトレンドがある。

そのトレンド転換は、主流の行き詰まりから生まれるのは、その行き詰まりそのものが、「われわれの直感や本能、価値観や欲求に強く訴えるような概念装置」だからだろう(だからあたしは経済学を科学だなんて思っちゃいない)。

何らかの思考様式が支配的になるためには、われわれの住んでいるこの社会の中で実現可能性があると思わせるだけでなく、われわれの直感や本能、価値観や欲求に強く訴えるような概念装置が提示されなければならない。それに成功すれば、この概念装置は常識(コモンセンス)の中に深く埋め込まれ、自明で疑いのないものになる。from デヴィッド・ハーヴェイ:『新自由主義―その歴史的展開と現在』:p16

フレーズ

ということで、上記新聞記事内のクルーグマンの言葉への関連。