幸水をいただいたのだ
午前5時35分起床。浅草はくもり。八木沢さんより猿島郡境町の加藤果樹園の幸水をいただいたのだ。昨日「じぇじぇじぇ」と「あまちゃん」を思いだして書いたが、この「じぇ」は岩手県の久慈のもので「びっくりした」の意で使っている(そんなのでいいのか)。
あたしの知っている福島県の田村町(今でもそんな呼び方をするのだろうか)の方では、「じぇ」は(たぶん)「よい」の意味であり、茨城県や栃木県の福島県寄りの言葉を聞くと、この福島県の「じぇ」を思いだすのである。
八木沢さんはその昔は「矢板のじいさん」、と呼ばれたように栃木県の方だった。しかし今では茨城県に住まいを移している。
しかし何処に移ろうが八木沢さんは「矢板のじいさん」なのであり、あたしより若いのに「じいさん」とは何事か、なのだが、読んで字の如しなのであり、まあ(福島県の)「じぇ」なのであるな。
梨
長い間、梨と云えば二十世紀か長十郎のことだった。幸水はとても甘い、篦棒に甘いのである。しかし梨と云えばそれはいつでも秋の果物で、買ったものなのか、貰ったものなのか、秋の家には梨(勿論「幸水」のわけがない)があった。
祖母に剥いて貰っては、遠慮無しに腹一杯食べていた。それは果肉がスカスカした、ちょとばかり酸っぱくなったかなしい梨だったけれど、今、こんな高級な梨を食べていても、思い出すのはあの頃の、少し冷たくなりはじめた、少しだけ凜とした、少しだけ黄色っぽい秋の空気なのだ。しかし東京は季節がおかしいのか、まだ夏の盛りの梨なのに、このムッとした空気さえ、冷えた室内では幸水の甘さの前では、はかなく消えていくのである。