近藤里史氏近藤 里史氏(村上さん撮影)


己が貢献できそうな夢を察知し実行してみよう!

午前6時30分起床。盛岡は晴れ。昨日は一般社団法人 岩手県建設業協会で、建設業の経営環境に関するシンポジウムが開催された。テーマは「担い手の確保と育成」である。近藤さんの講演は一般財団法人 建設業振興基金理事長 内田 俊一氏に次いで二番目の出番だった。

それじゃ何故内田 俊一氏を書かないのだ、と叱られそうだが、あたしの感心は近藤さんにあったのだ。だから近藤さんについて書くのだが、それは内田氏の話がつまらなかった、と云うことを意味しないのは当然のことだ。しかし、近藤さんの講演の内容(内容はICTを中心とした担い手の確保と育成である)を書く事はしない。ではなにを書くのか、と云えば、もうひとつ踏み込んで彼の「個と種」のあり方について書いてみたいと思った。

それは彼が自分がいなくなったときも動く会社の仕組みを考えているように思えたからだ。又それは「種の論理」をよく理解してくれている事を意味する。彼の言葉は全てが「種」なのだ。当たり前かもしれないが会社を代表して話しているのが分かる。それもさりげなくだ。一方、近年増えているフリーターの方々は「個」だと云えよう。それは自分の立場を表しているのではなく、考え方が「個」になってしまうということだ。

「個」は「種」がない。「種」は寄って経つ大地である。彼がこの「種」(砂子組)に絶対の信頼を置いているのがわかる。つまりだ、彼の講演は素晴らしいものだったが、砂子組という組織が見えてくるようなのだ。と同時に組織を束ねる砂子社長が映える。それは「余所者」(「個」)を警戒しながらも「種」に新しい技術や考えといった新風を入れてくれる「個」として、さらに「種」を活性化していくという「種の論理」の事実なのだろう。

種の論理