種の論理『種の論理』――田辺元哲学選Ⅰ
出版社:岩波書店  発売日:2010/10/16


『種の論理』――田辺元哲学選Ⅰ

午前5時30分起床。浅草は晴れ。たぶん今読んだからと云って2月11日迄に、何か新しい発見があるとは思えないが、『種の論理』――田辺元哲学選Ⅰを読んでみた。これは2月11日の小さな勉強会のあたしの講演の演題である、「類・種・個」(組織人と個人)を展開した元々の本である。つまり、田辺元の哲学をちゃんと読もう、という人の為の本だ。

田辺元の「種の論理」を知ったのは中沢新一の『フィロソフィア・ヤポニカ』という本においてであった。しかし、今思えばそんなことはどうでもよかった。あたしはITのコンサルタントとして生きている。であればもっと読み込んで理解して簡単に話せばよかった、と今になって思うし、あたしは長いこと「種の論理」を話していたにも関わらず、それはあたしの「種の論理」であって田辺元の「種の論理」ではなかった、と思っている。

2月11日には「種の論理」の細かい説明はしないつもりだ。ただ、「類・種・個」とはなんなのか、そして「種」の中の「個」、「個」の中の「種」としてのあたし達は何をしたらよいのかを話せればいいば、と思っているし、想像力を働かせている。

あたしのIT化論は、次の方程式をIT化の基本方程式として機能させようとした。それは「IT化=環境×原理=経営」である。つまり、IT化とは経営のことであり、それは環境と原理との乗数としてある、ということだ。つまり、IT化と経営をマネジメント(@ドラッカー)と読み替えることが出来れば、、この方程式は企業経営ばかりでなく、協会や、地域社会にも、同様に機能する、と(あたしは)考えている。しかし、公共事業という産業も、地域(パトリ)も、衰退の加速度を増してしまったようだ。

多くのマネジメント・システムは、この状況に対応出来てはいないように見える。あたしがかつて、『フィロソフィア・ヤポニカ』――特に「種の論理」(田辺元)をベースにしたIT化論を組み立ててたのは、それが、「こんな時代」だからこそ威力を持つ実践の哲学だ、と信じたからだが、そこにも欠点はあったし完成は出来なかった(それは11日に話そう)。 しかし、徹底した中間の思考である「種の論理」は、大きな可能性を秘めている。

その可能性とは徹底した中間の哲学であるということだ。「受け入れる」ことはけっして悪いことではなく。否定的受容である。そして絶対弁証法である。それが可能なら、その多くのマネジメント・システムも、われわれが取り込むことで、われわれの想像性(ひねり)を可能にすることができるのだろう(と思うのだ)。つまりやらせられるのではなく、やるのであ。それは「個」にも、そして勿論「種」にも、良い結果をもたらすであろう(というのがあたしの持論である)。

『種の論理』――田辺元哲学選Ⅰ