なんでそう着るの? 問い直しファッション考
午前5時10分起床。浅草は雨。
久々に「江弘毅」から著作が送られてきたのだ(「謹呈」というやつである)が、
「なんでそう着るの? 問い直しファッション考」という題名をみて、
へー「江弘毅」は「ファッション」についても五月蠅いのか、と思った。
表紙を見て、なるほど、これはやかましい男だな(笑)、と独り納得したのだが、
あたしの記憶だと、こういう格好は、70年代の「メンズクラブ」か「ポパイ」に出ていたなと思う。
その時代に青春時代を過ごした方々(たぶん60歳から70歳の方)の中には、
格好から入るのが当たり前の様な人が多いのだ。
なにを隠そうあたしもその一人であるが、
格好を決めておけばその内に中身もついてくる(こともある)、という全くお気楽な考え方である(笑)。
それはあたしらよりも若い人達とは確実に違っていて、
例えば、自分の息子の考え方とは全く違っていることに驚かされる。
あたしは「ファッション」のことは勉強した経験はない(ようはわからない)(笑)。
ただ「おしゃれ」は「贈与」であり「利他」である、という「江弘毅」の意見には賛成なのである。
今回の白眉は「おしゃれ」を「交換の原理」と「贈与の原理」に落とし込んだところだろう。
「アロハ」を普段着のように着ているあたしでさえ(これも「贈与」なのだが)、
たまに余所様に行くときは、BDシャツにネービージャケットを羽織るのだ。
それは周りの人から浮かないように、場を壊さないように、そしてあたし自身の存在を消す為でもある。
だからと言って、今の世の中は「交換の原理」、ようは資本主義で動いているからつまらない、
というようば単純な話ではないのだよ。
なんだかんだ云っても「贈与の原理」が支配的な人間世界なのだ。多くの方々はそうやっているのだ。
資本主義が300年頑張ってきたけれど、やっぱりあたしらは「贈与」が好きなんだ、ということで、
経済はまだまだ「贈与>交換」なのである。
だから「交換」が優位であるかのような「ファッション」業界も、実はまだまだまだ「贈与」が優位の世界どと思っている。
頑張れ「ユニクロ」、頑張れ「GAP」なのである。
あたし的には「ユニクロ」を着てても「カッコいい」奴はいい(その逆も又当然にある)。
「江弘毅」の云う通り、『カッコいいはあくまでも「おまけ」みたいなものである』のだよ。
これが「贈与」の世界の奥深さなのだし、怖いことろだと思っている。
だからあたしは云うのである、「贈与」万歳、なのだと(笑)。