情報の非対称性

売り手には正しい情報があり、買い手には正確な情報がないという、両者間での情報量に大きな差異がある場合のことを「情報の非対称性」といいます。これにはアカロフの「レモン市場」という有名なモデルがあります。(J.A.アカロフ,『ある理論経済学者のお話の本』,幸村千佳良ほか訳,ハーベスト社,1995)


たとえば、私たちは新車を購入する場合には、雑誌やCMやパンフレットなどからエンジンの性能や走行性などのある程度正確な情報を得ることができます。しかし、これが中古車となるとそうはいきません。事故車(レモン)であるかもしれないからです。その欠陥が隠された情報である場合には、素人ではとても見抜くことができるものではません。このような場合、「情報の非対称性」が存在するといいます。そして市場が「情報の非対称性」であれば、市場は崩壊するとされているのですが、しかし、現実には中古車市場はちゃんと機能しています。ではそれはなぜなのでしょうか。それは

〈買い手が売り手を信用して購入している〉

からです。この「信用」とは、「のれん」や「評判」と呼ばれているもののことなのですが、この「のれん」や「評判」も、私たちがいう「なんだかよくわからないけれども人を束ねる力を持った情報」に含まれるもの、と考えればよいものです。でもここにも疑問があります。それは、では完全情報、完全競争の市場が実現したら、「のれん」や「評判」は意味を持たなくなるのではないだろうか、ということです。

その指摘はけっして間違いではありません。インターネット革命では、完全情報・完全競争の市場に近づくだろうという意見もあります。(たとえば、小室直樹,『小室直樹経済ゼミナール 資本主義のための革新』,日経BP社,2000) でも、現実的にはそんなことはありえません。インターネット社会においても完全情報、完全競争の市場は実現できないのです。なぜなら人間の認知許容力には限界があるからです。

電子市場においても、人間の認知許容力の限界において「情報の非対称性」は存在し続けます。ですからインターネット社会においても「情報の非対称性」がなくなることはありません。つまりインターネット社会も不確実性の存在する環境でしかありません。そのような不確実性のある環境では、「のれん」や「評判」というような「なんだかよくわからないけれども人を束ねる力を持った情報」が交換の潤滑剤であることは今までの社会となんら変わりはないのです。