私/他者という補助線の引き方。モラロジー建設部会での講演用PPTの解説 (4)

午前6時20分起床。浅草はくもり。昨日に引き続き、モラロジー建設部会での講演についての反省的記述から一日をはじめたい。本エントリ関連の過去記事は以下の通り。

  1. モラロジー建設部会での講演用PPT。(編集中)
  2. 新たな共同体性(贈与)―モラロジー建設部会での講演用PPTの解説(その2)。
  3. 純粋贈与とはなにか―モラロジー建設部会での講演用PPTの解説(その3)。

コミュニケーション

私達は無意識的に、とても単純化されたバイナリー(二項対立)でものを考えてしまうことが多い。それは複雑性を縮減していることでエコノミーではあるが、その選択が、必ず良い結果をもたらす可能性が高い、とはいえない。

特に、今のような変化の激しい時代では、古い環境と原理の慣性でバイナリーを機能させてしまうことが多い。そのためえてして誤った方を選択しやすい。(ヒューリスティクス

それは簡単にいってしまえば、二項対立の罠にはまっている、ということなのだが、なぜそうなるのかといえば、我々日本人の多くは、コミュニケーションに次の二つの意味があることを理解できていないからだ。

  • インフォメーション(情報としての情報)
  • インテリジェンス(伝達者の意図)

ルーマンのコミュニケーション定義である、〈情報/伝達〉の差異の理解とは、この2つの意味の理解でしかないのだが、我々はインテリジェンス(伝達者の意図)を考えることなく、バイナリー的に、インフォメーションとしての情報に振り回されている。(マスコミの視聴率や販売部数しか考えていない垂れ流し情報がなぜあれ程の力をもつのか)。

私―他者という補助線

私達は、えてして情報の(伝達者の)意図を考えることをしない。そのことで、我々は二項対立の罠に陥ってしまう。

それを防ぐのは理論的にはとても簡単で、二項対立の軸に、私―他者という補助線を一本引けばよい。

そうすれば単純な二項対立は4つの象限をもつことで、〈他者〉としての伝達者(情報の発信元)を知ることになるだろう。(例えば、〈私〉の考えている「白」と〈他者〉のいう「白」は違う象限にある)。

二項対立+私という軸

考えるIT化

これの差異を知る能力を、私は、情報を見る能力(信頼=他者を信頼する能力)、Y=aX の係数a(養老猛)として理解し、その係数aを育むためのIT化を考えてきた。

その最も端的な手法は、目的と理念(哲学)をもって情報を発信しつづけること、でしかないのだが、その実践は多くの方々には難しいことでもある。(そして残念なことに、講演はここで時間切れになってしまったのである。受講された皆様にはまったくもって申し訳けなく、すべての責任は私にある)。

その具体的手法を詳しく説明することはできなかったのだが、このことについては、このブログにも散在的に書き留めてはいるし――とりあえずは、「法大EC:考える技術講座」をお読みいただければ、と思う。

そしてこの論理的背景を持つことで、IT化の具体は、普遍経済学モデルに忠実に、中景(贈与共同体)としてのイントラネットの運用からはじまる。

しかしそれは、「閉じ」でしかないことで今という時代には大きな欠点を孕む。ならばその上で、(今の時代でいえば)ブログ化(開放)へ向かう――それもメビウスの帯としてのひねりをもって純粋贈与への接触に加速度を加える、という手法としてである。

そしてそれは、個人の領域では、書くこと、情報を発信しつづけること、に収斂する。

そのことで個人の領域と組織に育まれるものは、情報を発信する能力としての信頼性(信頼される能力)である。信頼と信頼性は相互に絡み合った、二重螺旋のようなパラレルな存在である。そして信頼を高めるには信頼性を高めるしかない――ことで、(バルネラブルに)情報を発信することが優先する。それがIT化だと私は定義している。(終)

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