いっとかなあかん店大阪いっとかなあかん店 大阪』 江弘毅 (著)、 長友啓典 (イラスト)
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『いっとかなあかん店 大阪』

午前6時10分起床。浅草は晴れ。大阪には江弘毅がいて、こうして「街」のことを書いている。彼が自分のアンテナを広げ、電波を飛ばして感じる「街」の中で、今生きている店を書いている。店を通して「街」が分かる。その江弘毅が今、『いっとかなあかん店 大阪』と云うのがこの本なのだ(だぶん)。この本を読んで大阪の何処を彼は『いっとかなあかん店 大阪』として紹介しているのだろう、とふと思った。

それでこの本を「データ」として纏めてみたのが下の地図なのだ(江はデータとしての店を嫌うのだが)。これを見ると大阪駅の南側に店が集中していることがわかる。それがどんな意味を持っているのかは、非大阪人のあたしの思いも寄らないことなのだが、しかし彼は書く。それは何かに取り付かれたようにだ。しかし、いやいや書いている訳では無いのだろう。うまいものが、店の様子が、本を通じて伝わってくる。

ましてや相手は大阪の店だ。飲み食い世界一の大阪である。写真を見ると、職人としての店主の顔がいい、店の風情がまたいい、料理の写真もまたいい。そして書かれやテクストがまた読める。しかしだ、これら店も浅草に住むあたしにはいつでも「情報」なのである。しかしその「情報」というのが「本質的」な情報なのだ。村上泰亮の言葉を借りれば、「第二種の情報的相互作用,解釈学的な蔓の情報」なのである。それはそれを持つこと自身が値打ちをもつ「情報」であることで、この本は「手段的」な「情報」とは全く違うのだ。

江弘毅の『いっとかなあかん店 大阪』地図