ラムチョップ(シオ)ラムチョップ(シオ)


「ラムチョップ」を又喰う!

午前5時10分起床。浅草は晴れ。「ラムチョップ」を食べに出掛けたのだ。勿論、予約の取りやすい「ビアバル NAGAOKAYA」にちゃんと予約を入れてだ。ここの「ラムチョップ」は一つ食べで終わることはない。やや小振りの「ラムチョップ」を五つ食べた。それも「シオ味」ばかりという偏食でだ。

申し分けないと、「タレ」を一本頼んでみた。しかし、やっぱり「シオ」が美味しい。それはあたしの好みなのだ。勿論ビールは大好きな「アサヒスーパードライ」だ。ちっともうまくはないが、それは私的には嬉しいことで、好きなものを好きなように食べる、という、今や残された(あたしの)《欲望》の一つを満たしてくれる。

そう、ここは望みを叶えられる希有な場所なのだ。好きなものを食う、それだけでいい。他になにもいらないし、望みもないのである。あたしの「想像界」を揺さぶるこの茶色い肉片を食べると「現実界」に触れそうになる。「スーパードライ」という液体のなかに、全然ドライじゃない人生の綾が浮游する。

それは[安易な回路」を思い出させる。ここでいう「安易な回路」とは「想像界」を回路とするコミュニケーション欲求のことだ。

想像界とは、そのような個体をつねに不完備の状態にとどめおく働きをするものなのである。この不完備からは欠如が生まれる。そして、この欠如が同じように不完備な個体同士間のコミュニケーションを発生させる。田邉的・ライプニッツ的個体には、そのような想像界がまったくない。だから、個体同士間に想像界を回路とよするコミュニケーションの欲求も生まれない。(中沢新一:『フィロソフィア・ヤポニカ』:p318

あはは、と笑う自分がいる。「安易な回路」の何処がわるい。田邉的・ライプニッツ的個体にはついなれないな、と思う。この居酒屋でビールを呑むあたしは、浮游する綾を泡と一緒に呑みこむ。あーうまい。ちくしょーなのだ。まったく馬鹿なことをしてきたな、と思う間もなく又次の「ラムチョップ」を食べるのだ。

ビール&白レバームース

カジョス

ビアバル NAGAOKAYA
東京都台東区上野二丁目9-5